根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

人の事と書いて、人事とはよく言ったもんで。

読み返してみると、誰のためにもならない毒が巻き散らかされているだけの文章です。私が書きたかっただけなんてす。逃げることを推奨します。人の毒を眺めるのが好きな変態だけ楽しんでください。

 

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月曜、職場にいくと、デスクの位置が変わって居た。そういえば偉い人の独断と偏見で席が変わると言ってたな。

 

そして上手くいってない指導係と、指導-被指導の関係を解消されてしまった。これも偉い人が決めたようだ。新しい指導係は、私より年上で、教え方も上手い。でも残念です。

 

指導係が私のことについて、私個人への不満30%、自信喪失70%の構成要素で取り組んでいることを感じていた。

スモールオフィスなので、そのことを1時間近く偉い人に相談しているのも運悪く気づいてしまった。デスクに戻ってきた(旧)指導係は目元が赤くなっていた。優しい人なんだなと思ったし、幼稚な人なんだなとも思った。

私は関係性の修復を望んでいたけど、人事のチカラによって半強制的に諦めさせられたのは初めての経験だった。人事というのは、上手く機能すると本当に人を助けるんだなと思った。きっと指導係も、関係性の修復を望んでいない。私が、後腐れなさすぎるんだと思う。熱が冷めるまではムリだ。

人事の偉い人には、私が単なるうるさい新人と映っているのかどうか、今度の飲み会で確かめてみようと思う。

 

…はあ。

 

私はこれから、「分かり合うこと」について苦しみながら生きていくんだと思う。組織が変わるたびに、この苦痛を伴う中長期的な駆け引きを行わねばならないと思うと嗚呼。

でも宿命だとも思う。そうでなければ、社会に交わらずに生きていくか、1人で働くしかない。

 

 

前職で、ずっと価値を否定され続けていた頃の記憶がフッと蘇った。

ふだんは誰も何も言ってくれない。ただ、週に一度のミーティングで激しく否定されて、何も言えず仕事に戻る。それの繰り返し。

「一定周期で訪れるものに人は堕ちていく」という話を聞いて、そうだなと思った。オルガズムも拷問も、一番効くのは、動けない状態にして、3.2.1と次の刺激までカウントしながら、刺激を継続することらしい。催眠術も、そうなのかも。

 

私は、あるときから、辞めさせられることの恐怖と戦っていた。辞めたほうが絶対マシなこの環境で、「とはいえ此処に居ても良い」ということだけは信じたかった。

 

週一のミーティングの次に苦痛だったのが、外部から呼んでいる営業コンサルとのミーティング。このコンサルは私のことこき下ろして、「あなたの言動、すべてがお客さんに失礼です。今まで積み重ねて来た営業数値は全てマグレです。信じられない。」と散々っパラ暴言を吐いていた。5年間、うちの会社の数字を上げられていない貴様の実績の方が凄いわいと思いながらも、彼は恐らく自分の実績の一つとして私を排斥するという力学、つまり「敵の敵は味方」理論で「あいつは貴方の敵ですね。なので排斥しましょう。私は貴方の味方です」といった具合に社長を取り込んでいったことがわかる。それを鵜呑みにする社長も、本当に不安の中で経営をよく頑張ってたんだと思う。本当に、バカ社長とチンカス外道コンサルだった。

そんなクソコンサルのお陰で、翌月からお客さんとの話し合いには、必ず上司が立ち会うことに決まった。商談中、上司はずっと黙って下を向いて、私の言動をメモして居た。1ミリも奏功しなかった。

翌月から、お客さんとの打ち合わせに出させてもらえなくなった。電話をひたすらかけろと言われた。1日に平均4〜5時間くらい電話を掛け続けた。電話をしていてお客さんにわからないことを聞かれたら、保留にして質問しろ。ただし保留は30秒以内に終えられないなら折り返せ。30秒を超えたらドヤされる。お客さんにわからないことを聞かれたら、適当にはぐらかした。とにかく電話アポから面談へのコンバージョンレートが上がらないと私の存在価値はないのだ。

翌月から、海外から届く大量のメールを仕分ける作業と、面談に来たお客さんに渡すパンフレットにキャンペーンのビラを挟む仕事をやることになった。ひたすら毎日2時間近く、小さい会議室でビラを触っていた。向かいのオフィスビルで働く人と目が合わないように、ずっと机を見て作業してた。

社長は、私がミスをするたびに罵倒して、目も合わせずに「おい、これ全然分かってないよ。なんとかしてよ」と私の上司を指差した。私の上司も、「え、うーん」と。実はこの2人は夫婦なのだが、本当に、一刻も早く生まれ変わって、海の底の貝になってくれと今でも心から願っている。

 

熱がこもって来た。書いてみよう。書くことは、精神衛生的に良いとされないのかもしれない。でも何か起こる気がする。

「なんでこの前言ったことが覚えられないの?なんで?」

「すいません。こうやれって言われました」

「言ってない」

「はい、わかりました」

「覚えられない人ってね、何種類かパターンがあるの。俺知ってるの。」

「そうなんですね」

「今までずっと見てたけどね、君の場合は病気だよ」

「どういうことですか?」

「ん?だから、君ビョーキ!」

 

私は言葉が出なくなった。後から想像するに、沈黙はそれなりの武器になると、(追体験だが)感じたのは、これが初めてだった。私は黙って、ハゲ社長を見つめていた。ハゲは、さぞや怖かっただろう。私も怖かった。こんな人格の人間が、同じ世界に住んでいること、まざまざと見せつけられて、私は痺れていた。

私がもう少し面白い人間だったなら、「病名を教えてください」というキレキレの質問を投げられていたと思うが、残念ながら言葉が出なかった。生まれて初めて、人を諦めた。

そういえば社長インタビュー記事がフリーペーパーに載った時に、それの感想を「おもしろいてすね!」と言ったら、「バカにしてんの?」って目を真っ赤にして怒ってたこともあったなあ。嗚呼、こいつヤバいんだった。って思ったよ。あんたこそビョーキだよ絶対。

 

 

 

 

 

 

なんでこんなことを思い出したのかというとね。月曜に新しい座席表が回覧されていた。座席が変わったのは私だけだろう。違うのかな。

もう水曜になるけど、なぜまだ私の所には回覧されていないのか。

もしかして座席表には、私の名前は書かれていないのではないか。試用期間中に指導係を泣かせるトラブルメーカーの名前は、その座席表には書かれていないのではないか。

私の(新)指導係は、もう辞めさせられることを分かった上で、私の相手をしているんだろうか。だから小さなミスにも、やけに優しいのだろうか。私が「これから先も頑張ります」と未来を描いたコメントを連発することが、彼らへの恨み節になるのだろうか。

 

そんなことがグルグル、グルグルと渦巻いている。それでも仕事をまっすぐやろう。