重さを変えて、自分の人生を生きる。
今朝は雨模様で、お腹の調子が悪く、気持ちも身体も重たかった。腸からセロトニンが出てないからかな?とか思ったり。
腸だ、セロトニンだ、と頭で分かると、少し気持ちも落ち着く。いま、腰グルグルお通じ良くなれ体操をしながらブログ書いてる。そのまま寝る。
友人が、あまり仕事のことを重たく考えすぎない、という選択肢を提案してくれた。
なぜ仕事に対する認識が重くなるのか。
仕事を通じて尊敬する人に出会ってきたからだ。自分の、また誰かの仕事を通じて感動してきた経験が多いからだ。
そして、仕事は、生きてる実感との重なりが大きいからだ。
本当に重なってるのか?いやいや重ねているだけだ。「仕事と生活」には、生活を送るレベルでの重なりが必要にはなるが、「仕事と生きがい」の重なりは、心の持ちようのみによって形成されるだろう。コントローラブルなのだ。
コントローラブルってことは、代替可能性を秘めているということだ。替えのないものはコントロールの余地がないのだから。背反証明。
いやいやそうは言っても、仕事と生きがいを重ねがちやん。なんでかな。
・工数的に生活の大部分を占めるから意識の表層にあがりがち
・給与等で定量的な評価が示されるから、豊かさが計測可能な錯覚を覚えがち
・子どもとかいたら、自分の稼ぎが自分以外の人のための人生に影響を与えるから盲目的に頑張るほかなくなる。
とか。
…考えてみたけど、寝ぼけた頭ではこんなチンケなアイデアしか浮かばない。自分の人生を生きてないタイプの見解しか出てこなかった。
うん、そうだね。自分の人生いきたらいいよね。