作戦はあっけなく失敗に終わった
鉄道に乗り換えてやろうと思った矢先である。手持ちのキャッシュが430円しかないことに気づいた。父の田舎までは1400円必要だ。これでは辿り着いて現地でお金をおろすことすら、ままならない。
しかしここで負けてたまるかと、鉄道に乗り換えず田舎の鈍行に乗り続けてやった。するとどうだろう。
全く知らない駅名がつづき、あたりはどんどん暗くなる。無人駅の出口にポツンと自動改札機が置いてある。民度が、秩序が試されている。
突然の便意に襲われたが、無人駅のトイレを使うのは精神衛生上、ムリなので降りて引き返すことにした。この手の決断力は優秀である。次に降りる駅は、すぐに折り返し電車が来るだろうか…
iPhoneを触ると、圏外になっている。
山の間をくぐりぬけるこの鈍行は、いよいよ県境の目前まで来ており、トンネル内を通過していた。私に帰りの電車を調べることすら許さない。
ええい、降りてやれ。
グェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェーグェー
カエルの声が無数にこだましている。山と山の間に、駅がポツンとある。駅というより線路の両脇に乗り場を後からくっ付けたような場所。
駅から辺りを眺めると、山奥の麓まで水田が連なっていた。カエルが不規則に鳴き、アナログサラウンド。次の電車まで15分だ。
さあ、帰ろう。無人改札を素通りし、線路の反対側に移動した。
偶然にも、同じく乗る電車を間違えたらしき女性がいる。偶然にしては気持ち悪いが、私たちは5メートルくらい距離をあけて、ほぼ同じ速度で線路の反対側へ移動した。
誰かに電話して「まちがえたー。今から2時間くらいかかる。」と笑っている。
こんな時間にこんな駅を使うのは、頭のおかしな2人だけだった。
駅の街灯にはおびただしい数の羽虫が飛び回っている。バイタリティ。
来た電車はガラガラで、乗り込むと、今日本当は行きたかった父の実家の、納屋の匂いがした。湿った土の匂い。懐かしい。
遠くのローソンは銀河を漂う恒星のごとく、近くのビーノは流れ星のごとく、光っている。
通過する駅は段々と大きくなってきた。
よし、帰ろう。
Aでなければよい、ということは、任意のBでよいということになりますね
「〜しない」という指示があまり前向きに作用しないってのはよくある話で、Aを遠ざけるためにはAを遠ざける努力をするよりは、全く違うBに取り組む方が良いということ。
ピンク色のキリンのことだけは、絶対に想像するなよ!と言われたら、10秒くらいはピンク色のキリンのことを考えるはずだが、真っ赤なライオンのことを考えようとしたらピンク色のキリンは頭の端っこに蹴り飛ばされるだろう。
女性差別を除外する方法を探し続けている限り男女間のノーボーダーは訪れないだろうが、(男女を問わず)人間が活躍するためのメカニズムに集中すれば、新しい展開があるだろう。
目的は、NotAを実現することではなく、AおよびNotAを意識から遠ざけることにある。本質的にAにフォーカスしない選択肢を自ら創っていかないといけないんだ。
だから今日は、晩御飯をサボるために恩師にご飯に誘われたと嘘をついて(本当は誘われてたけどドタキャンされた)、鈍行と鉄道に揺られて父のふるさとまで電車でいくことにした。片道1時間40分。
本は忘れた。のんびり外を眺めることができるってことだ。
重さを変えて、自分の人生を生きる。
今朝は雨模様で、お腹の調子が悪く、気持ちも身体も重たかった。腸からセロトニンが出てないからかな?とか思ったり。
腸だ、セロトニンだ、と頭で分かると、少し気持ちも落ち着く。いま、腰グルグルお通じ良くなれ体操をしながらブログ書いてる。そのまま寝る。
友人が、あまり仕事のことを重たく考えすぎない、という選択肢を提案してくれた。
なぜ仕事に対する認識が重くなるのか。
仕事を通じて尊敬する人に出会ってきたからだ。自分の、また誰かの仕事を通じて感動してきた経験が多いからだ。
そして、仕事は、生きてる実感との重なりが大きいからだ。
本当に重なってるのか?いやいや重ねているだけだ。「仕事と生活」には、生活を送るレベルでの重なりが必要にはなるが、「仕事と生きがい」の重なりは、心の持ちようのみによって形成されるだろう。コントローラブルなのだ。
コントローラブルってことは、代替可能性を秘めているということだ。替えのないものはコントロールの余地がないのだから。背反証明。
いやいやそうは言っても、仕事と生きがいを重ねがちやん。なんでかな。
・工数的に生活の大部分を占めるから意識の表層にあがりがち
・給与等で定量的な評価が示されるから、豊かさが計測可能な錯覚を覚えがち
・子どもとかいたら、自分の稼ぎが自分以外の人のための人生に影響を与えるから盲目的に頑張るほかなくなる。
とか。
…考えてみたけど、寝ぼけた頭ではこんなチンケなアイデアしか浮かばない。自分の人生を生きてないタイプの見解しか出てこなかった。
うん、そうだね。自分の人生いきたらいいよね。
人の事と書いて、人事とはよく言ったもんで。
読み返してみると、誰のためにもならない毒が巻き散らかされているだけの文章です。私が書きたかっただけなんてす。逃げることを推奨します。人の毒を眺めるのが好きな変態だけ楽しんでください。
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月曜、職場にいくと、デスクの位置が変わって居た。そういえば偉い人の独断と偏見で席が変わると言ってたな。
そして上手くいってない指導係と、指導-被指導の関係を解消されてしまった。これも偉い人が決めたようだ。新しい指導係は、私より年上で、教え方も上手い。でも残念です。
指導係が私のことについて、私個人への不満30%、自信喪失70%の構成要素で取り組んでいることを感じていた。
スモールオフィスなので、そのことを1時間近く偉い人に相談しているのも運悪く気づいてしまった。デスクに戻ってきた(旧)指導係は目元が赤くなっていた。優しい人なんだなと思ったし、幼稚な人なんだなとも思った。
私は関係性の修復を望んでいたけど、人事のチカラによって半強制的に諦めさせられたのは初めての経験だった。人事というのは、上手く機能すると本当に人を助けるんだなと思った。きっと指導係も、関係性の修復を望んでいない。私が、後腐れなさすぎるんだと思う。熱が冷めるまではムリだ。
人事の偉い人には、私が単なるうるさい新人と映っているのかどうか、今度の飲み会で確かめてみようと思う。
…はあ。
私はこれから、「分かり合うこと」について苦しみながら生きていくんだと思う。組織が変わるたびに、この苦痛を伴う中長期的な駆け引きを行わねばならないと思うと嗚呼。
でも宿命だとも思う。そうでなければ、社会に交わらずに生きていくか、1人で働くしかない。
前職で、ずっと価値を否定され続けていた頃の記憶がフッと蘇った。
ふだんは誰も何も言ってくれない。ただ、週に一度のミーティングで激しく否定されて、何も言えず仕事に戻る。それの繰り返し。
「一定周期で訪れるものに人は堕ちていく」という話を聞いて、そうだなと思った。オルガズムも拷問も、一番効くのは、動けない状態にして、3.2.1と次の刺激までカウントしながら、刺激を継続することらしい。催眠術も、そうなのかも。
私は、あるときから、辞めさせられることの恐怖と戦っていた。辞めたほうが絶対マシなこの環境で、「とはいえ此処に居ても良い」ということだけは信じたかった。
週一のミーティングの次に苦痛だったのが、外部から呼んでいる営業コンサルとのミーティング。このコンサルは私のことこき下ろして、「あなたの言動、すべてがお客さんに失礼です。今まで積み重ねて来た営業数値は全てマグレです。信じられない。」と散々っパラ暴言を吐いていた。5年間、うちの会社の数字を上げられていない貴様の実績の方が凄いわいと思いながらも、彼は恐らく自分の実績の一つとして私を排斥するという力学、つまり「敵の敵は味方」理論で「あいつは貴方の敵ですね。なので排斥しましょう。私は貴方の味方です」といった具合に社長を取り込んでいったことがわかる。それを鵜呑みにする社長も、本当に不安の中で経営をよく頑張ってたんだと思う。本当に、バカ社長とチンカス外道コンサルだった。
そんなクソコンサルのお陰で、翌月からお客さんとの話し合いには、必ず上司が立ち会うことに決まった。商談中、上司はずっと黙って下を向いて、私の言動をメモして居た。1ミリも奏功しなかった。
翌月から、お客さんとの打ち合わせに出させてもらえなくなった。電話をひたすらかけろと言われた。1日に平均4〜5時間くらい電話を掛け続けた。電話をしていてお客さんにわからないことを聞かれたら、保留にして質問しろ。ただし保留は30秒以内に終えられないなら折り返せ。30秒を超えたらドヤされる。お客さんにわからないことを聞かれたら、適当にはぐらかした。とにかく電話アポから面談へのコンバージョンレートが上がらないと私の存在価値はないのだ。
翌月から、海外から届く大量のメールを仕分ける作業と、面談に来たお客さんに渡すパンフレットにキャンペーンのビラを挟む仕事をやることになった。ひたすら毎日2時間近く、小さい会議室でビラを触っていた。向かいのオフィスビルで働く人と目が合わないように、ずっと机を見て作業してた。
社長は、私がミスをするたびに罵倒して、目も合わせずに「おい、これ全然分かってないよ。なんとかしてよ」と私の上司を指差した。私の上司も、「え、うーん」と。実はこの2人は夫婦なのだが、本当に、一刻も早く生まれ変わって、海の底の貝になってくれと今でも心から願っている。
熱がこもって来た。書いてみよう。書くことは、精神衛生的に良いとされないのかもしれない。でも何か起こる気がする。
「なんでこの前言ったことが覚えられないの?なんで?」
「すいません。こうやれって言われました」
「言ってない」
「はい、わかりました」
「覚えられない人ってね、何種類かパターンがあるの。俺知ってるの。」
「そうなんですね」
「今までずっと見てたけどね、君の場合は病気だよ」
「どういうことですか?」
「ん?だから、君ビョーキ!」
私は言葉が出なくなった。後から想像するに、沈黙はそれなりの武器になると、(追体験だが)感じたのは、これが初めてだった。私は黙って、ハゲ社長を見つめていた。ハゲは、さぞや怖かっただろう。私も怖かった。こんな人格の人間が、同じ世界に住んでいること、まざまざと見せつけられて、私は痺れていた。
私がもう少し面白い人間だったなら、「病名を教えてください」というキレキレの質問を投げられていたと思うが、残念ながら言葉が出なかった。生まれて初めて、人を諦めた。
そういえば社長インタビュー記事がフリーペーパーに載った時に、それの感想を「おもしろいてすね!」と言ったら、「バカにしてんの?」って目を真っ赤にして怒ってたこともあったなあ。嗚呼、こいつヤバいんだった。って思ったよ。あんたこそビョーキだよ絶対。
なんでこんなことを思い出したのかというとね。月曜に新しい座席表が回覧されていた。座席が変わったのは私だけだろう。違うのかな。
もう水曜になるけど、なぜまだ私の所には回覧されていないのか。
もしかして座席表には、私の名前は書かれていないのではないか。試用期間中に指導係を泣かせるトラブルメーカーの名前は、その座席表には書かれていないのではないか。
私の(新)指導係は、もう辞めさせられることを分かった上で、私の相手をしているんだろうか。だから小さなミスにも、やけに優しいのだろうか。私が「これから先も頑張ります」と未来を描いたコメントを連発することが、彼らへの恨み節になるのだろうか。
そんなことがグルグル、グルグルと渦巻いている。それでも仕事をまっすぐやろう。
乳歯を砕くチャーシュー。
職場の近くにラーメン屋がある。この店が出来た時のことを知っている。15年前。中学1年のとき。
豚と鶏のベースに少し鰹節を入れたオリジナルのスープは、くどくなくて好きだった。極め付けは、しっかり燻製した硬めのチャーシュー。初めて食べたときに、私の幼い奥歯がチャーシューと衝突して割れた。流血して爆笑したの思い出した。
15年ぶりだったけど、今日も美味しかったよ。少し嬉しかった話。
書かないとき
ほぼ毎日、呼吸するみたいにブログかいてたから、書かなかった日がむしろトピックになる。書かなきゃー!という気持ちは1ミリも無いので、書かなかった日を冷静に見つめることも楽しみだったりする。
先日、ある事件が起きて一日考え込んでました。あー何か書きたいなと思ったけど、なぜか書けない。
その事件について文字にしながら整理していきたいのだけど、その話題に触れたらダメな方に進んでいきそうで、動けなくなる。
この動けなくなる感覚をほぐしながら、何かが書ける私になりたいなあ。その話題について、触れる文章なんかわざわざ書かなくても、何か違うことをツルツルと書けたら。
取りつく島もない。
アダ名。
私の指導係りをやっている職場の先輩(女)と上手くいってない。先輩と言っても私の方が三つ年上で、どうやら彼女には指導経験がないみたい。「まだ入社4ヶ月だし」と愚痴っていた。その愚痴は、俺にしちゃダメなんだよ?と思いながら聞いていた(笑)
私の方が年上だからか気を遣われていて、しかし同時に変な焦りが伝わってくる。「聞かれたことに分からないと言いたくない」みたいな。私はなるべく自分の経験を話題にしないように気をつけ、彼女の経験を話題として引き出し、彼女のディグニティが高まるように心がけている。
たまに、質問したことに対して全く的外れな回答をするときがある。
それは、おそらく、私の質問に答えられないことを悟られまいとしているのではないかと思う。それがパニックを引き起こして、(意識的にか、無意識的にか)強引に転換しているのではないか。明らかに質問の趣旨と異なることを延々と、ともすれば「この前も言ったのに」的な立ち位置から話が始まるので、これは少し腹がたつ(笑)しかしこれは、彼女が指導係としての責任を強く感じていることの裏打ちでもあると言えるだろう。
この空回り感を、残念ながら私はしっかりと感じている。彼女に気持ちよく働いてもらうために、私は早く仕事を全て覚えたい。
彼女の気持ちを察して気の利いたことを言うのもいいが、真正面から仕事に向き合い、実力をつけることでしか本質的に報いることはできないのだと思うから、分からないことは分からないと言う。変だと感じることは変だと言う。
そこを適当に流したら相手を侮辱することになるだろう。私のミスは、彼女のミスなのだから、そこはやり合わないといけない。
ふと気がついたら、アダ名で呼ばれていた。私の姓をもじったアダ名。彼女以外、誰も私をそのアダ名では呼ばない。
彼女も、私以外の他の誰にもアダ名をつけていない。なんなんだこれは。そもそも職場でアダ名なんて、生まれて初めてである。
このあだ名は、私と彼女をつなぐ呪文なのかもしれない。俺も明日、いきなりアダ名で呼んでみようかな。