根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

歌います

自分が企画運営サイドを担当する本番は、この半年でいくつかありましたが、パフォーマンスサイドを担ったのは今年の5月が最後。

 

そろそろどこかで歌いたいなと思いつつ、地元にはフィット感のある団体がありません。県外に行くには予算が。自分で団体を立ち上げるのはちょっとしんどい。

 

そんな矢先。大学時代の音楽の師匠から連絡が。年末の第九で歌うメンバーが足りないらしい。知り合いで乗ってくれる人がいないか、探して欲しいと。(第九というのは、ベートーヴェン交響曲第9番だよ)

 

練習19時からだし、練習場所職場から近いし、ええやん。しかもほぼ毎週練習ある。参加者にシニア多いからかな。第九、学生時代に歌ったことあるし。

 

私乗りますと、お伝えしトントン拍子。なんと、初回練習にオーディションあるらしいじゃないですか。今週末じゃないですか。そういえば学生時代にもやったな。

どうしようもなく下手な人だけ落ちるオーディションらしいけど。人前で自分だけを見せるってのは久しぶりで緊張するなあ。好きな歌だから、まだいいけど。しっかりアドバイスもらえるよう頑張ろ。

 

つうわけで、地元の歌イベントに参加します。毎週歌えるやったー。早速楽譜買った。f:id:udnishida:20170823142230j:image

きつい仕事

職場の悩みのほとんどは人間関係だというのはよくある話。仕事自体が身体的に精神的につらいってのは、それに比べるとレアですが、これもまた真なりと思う

 

危険な環境で身体、生命を脅かされる恐怖

人生の大切な局面に携わることで感じる重責

仕事の専門性に比例して感じる孤独

 

私の仕事は、具体的には書けないけど、誰かの人生を再生する作業の一部です。過去を整理して、仕切り直すお手伝い。

 

局面局面に痛みが伴います。でも長い目で見て人を助ける仕事なんだから、と思うと集中して向き合えます。

 

子どもが泣き叫ぼうと、予防接種の注射を刺す医者。

肋骨が折れようと、心肺蘇生のために心臓マッサージをする医者。

そんな気持ちです。

人から可哀想と思われること

自己評価と他者評価の乖離は不幸の一つの形だと思う。もう一歩手前に、こう思われたい私と、そう思われてないであろう私の乖離という自己完結型の不幸があると思う。

 

土曜のひよっこは、よかったですね。

 

行方不明になった父の代わりに上京し、自立して生き、星に語りかけちゃったりする、茨城出身の主人公。

親不孝に生き、星に語りかけちゃったりする主人公を茶化し、主人公の境遇に哀れみを感じる同い年の東京の女。

東京の女は、主人公から叱られます。「自分で決めていくことを自由と呼ぶのであって、今の境遇を可哀想と言われるのは心外である。」

 

一緒に上京してきた幼馴染は、主人公の達観に驚き、そんなこと考えてたのけ?と方言で。

 

田舎生まれのおっとりした娘の中にだって、自立した人間性は育つんだよ考えてんだよってことを、ずいんずいん提示してくれた回でした。

 

日々の生活で、選択する決める習慣を持っておくことは、豊かさのキーの一つですね

一瞬のなかに永遠がある

座右の銘です。音楽をやってて、気づいたこと。

 

 

 

昨日から職場に、2年ぶりに復職された方が。ベテランのオッチャンらしいが、2年も経てばルールも仕組みも変わっており、「概要ok、末端作業NG」という感じ。席は私の隣。
私もまだ1ヶ月そこそこながら基本的なことはプライドに気遣いながらフォローしないとなあと思ってた。

 

私がちょっとコピーを取りに行ったタイミングで、Prrrと電話が鳴り、ベテランオッチャンさんが爽やかな声で電話を取ったが、顧客データベースの検索がうまくできてない。他の人に質問もせず、とりあえず折り返しになってしまった。聞けよ。

席に戻り誰からでした?と聞こうとしたら、電話が再びPrrrrと鳴り、条件反射的にとってしまった。これが判断ミスだった。

ちなみにこの仕事、電話コミュニケーションが多いが前職の営業で1日何時間も知らない人に電話掛けまくってたから、耐性ついた。よかった。

こういう時に限って電話が長引いてしまう…あ、ベテランオッチャンが人事部長に顧客データベースの使い方聴きに行ってる。どうやら2年の休職期間中は、人事部長とずっとコンタクトを取ってたらしい。いや、でもちゃうやん。おかしいやん。

 

人事のリーゼントオヤジが来て、私や近くの席の人に、てめーら気い使えや!って大声で。いやこちとら電話中なんですけど。帰れ。いいから静かに席に戻れ。

どうやらこのベテランオッチャンは数少ない正社員で、社長からの指令で退職しないよに守らねばならないという思惑がその後の会話から見てとれた。ベテランは席を移動した。

 

このベテランオッチャンに後で、もう明日からあっちの席ですか?と聞いたら、「いやいや今日は……近くに人がいないので」
助けて欲しかったんだね。ごめんね。絶妙に口どもった時間と表情を、僕は忘れられません。彼も、申し訳なさや自尊心のはざまで働いてんだな。
とっとと、次から俺に聞け。って関係性つくって、お互いの心地よい居場所をつくらないと、回り回ってオフィス全体のパフォーマンスが落ちそう。ふう。

 

残酷なことに、不意に、一瞬のなかに永い未来が宿ってしまう。永遠レベルの案件じゃなくてよかった。いや、永遠かどうかはまだ生きてまないと分かんないか。

ルーティンを生かす

朝、出勤するときにすんごい気持ち的にしんどいことが増えはじめて、朝はちょっとでもテンションあげて仕事モードにしなきゃ。っていう気負いがシンドさを加速させてるとわかった。

 

原因は気圧なのか、食生活なのか、パソコンぶっ壊れて不意に大きい出費があったからか、わかりません。

 

でもよく考えると、本当に強制的にギアアップしないといけないシーンなんて、年に何回かしかないよね。実際あるときも、自然と内側から湧いてくるからいつの間にか終わってて全然ムリしてない。

 

だから、今日はお昼までに気持ちがあがればラッキー!くらいの感じで行こうー。と気楽に構えると会社のゲートに向かうにつれて上がっていた力みが少し軽くなった気がした。

 

力んでても力んでなくても、短期的にはパフォーマンスってあんま変わんないよね。それだったら力んでないほうが、耐用年数が長そう。

 

だから、自分のなかにルーティンというか「いつもの感覚」をつくっておいて、そのポジションと違う感覚通過、違和感があるときは、違うポジションでも力まずやれば適応していくかもしれない実験だと思うと、

 

「いつもと違う」→つやい怖い→力む→ルーティンに苦しめられる状態から、

いつもと違う→試す→力まない→ルーティンを生かすになるのかも。

チームチェンジ

職場でチームチェンジが行われた。ベテランの人が休暇から復帰するらしい。指導係の先輩は別のチームへ。私は残留して、上司のすぐ近くの席へ。

どうやら噂では、適当に仕事を振って、中途半端だとボロカスに叱責して、多くの人を潰してきたクラッシャーの異名を持つそうです。

話してる感じは普通の面白いオッチャンだから、どうなるかなあ。

 

そんなことを考えていると、経理の横柄なおばちゃんに朝からどやされた。完全にあげ足取りなので、いつか早とちりで食いついたところをひっくり返してやろうと思う。見ておれよ。

と思ったけど、怒りで震えて朝の貴重な15分くらい効率が落ちてしまった。本当にカンベンしてほしい。

仕事ができる人なのに、周りから見ると「怒りっぽくて揚げ足とるクソババア」としか映ってないの、ほんと残酷だと思う。この人にも虐げられた経験があるのかな。仕事ができることよりも大切なことってあるよな。そういう感覚が正常に機能する自分を大切にする。

 

こんなことをずーっとずーっと考えて今までも仕事してきたんだって、鬱になったことある友達に話したら、そりゃ鬱になるわって言われたよ。あんたもやろ!( ̄▽ ̄)

 

よし、ラーメン食べて仕事しよ。下品なラーメン食べたいなあ。職場の近くは上品なのしかない。

書かなくていい理由

書かない理由は、かなり焦っているからだった。今は、話を聞いてくれる人がいるから、書かなくていい理由がある。ありがたい。

 

でもコントロールできない範囲でモヤモヤはやってくる。明確に向けられた敵意や、明確に抱く不快感もあれば、一方的に膨らんでいるものもある。

 

幼馴染との再会で聞いた家族との不和。

痴呆の婆ちゃんが昔どんな人だったか。

職場の新人が3日でバックれたこと。

 

勝手にモヤモヤしてる。うんうん、って聞いてくれる人がいる。ここに書けば少しは晴れる。ありがたいありがたい。

 

さあて、次のイベントが待ち構えてます。解放から生まれる力強さを信じて、まっすぐ向かっていくよ。