根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

寝られない

明日から久しぶりの5連勤!

興奮して寝られない。

しかも今日、トータルで5時間くらい

昼寝したし。

寝られない。

 

音楽仲間の本番があったそうで、

送られてきた録音を聴いて

興奮して、さらに寝られない。

働いて貯金して、また音楽したい。

 

昼にシャワーしながら

前の職場のことを思い出した。

昼でよかったと思いながら、

寝る間際で再び思い出す

寝られない。

 

魔が差して、会社名+評判でググってみる。

 

クチコミサイトの投稿が一つ増えてる。

日付を見ると、二週間前だ。

あー読んじゃった。

読めば誰かわかる。 

あの人だ。

厳しかったけど、社長がいないところで

励ましてくれてた、同い年の。

あのひと。

 

へぇ、こんなに給料もらってたんだ。

こんなこと考えて仕事してたんだ…

こんなつまんない文章書く人だったんだ(笑)

文章からでも生真面目なのがわかる。

 

クチコミサイトに何か書くってことは

何か言いたくて言えないことが

あったんだろうな。

転職を考えてる人の為の文章じゃないよな。

たぶん、ほとんど皆が弔いのために書いてんだよな。

 

きっと俺のコメントも読んだんだろうな。

俺だって気づいたんだろうな。

別にいいけどさ。

自分の書いたコメントを読み返すと、

あの頃の怒りが鮮やかに思い返される。

ほんと、文章に癖あるな。おれ。

 

今日はユニクロで感動パンツ、買った。

この5ヶ月で痩せたから

ズボンのサイズが全くちがうし

辞めるまでの一年薄給でズボンなんか

買えなかったから、

テロテロのクタクタでミットモナイ!とのことで。

出世払いでって親が買ってくれた。

 

アルバイトなんだから出世しねえよ。

初任給で返そう。

 

明日はオシャレしていくんだ。

寝坊だけ気をつけなきゃ…

 

寝よ。

イヤなら、やめたらいいよ

付き合ってる人が教員採用試験を来月から受け始めるのだけど、そろそろ緊張感がピークに達しているのだそうで、疲れと焦りで集中が続かない→自己嫌悪→パフォーマンス低下のスパイラルに入ってるみたい。

 

今までも定期的に余裕なくなる人だったので、終わったら旅行いこうとか、子どもに勉強の楽しさを教えられる先生になれたらいいねーとか言いながら、頑張ってきたのですが、昨晩もモヤモヤされてました。

 

電話すると、「いま余裕がないから、優しくしてよね!」とのこと。こういうことを遠慮なく言ってくるところが、優しいところです。言われなくても気づけるようになってあげたいなあ。

 

あまりに勉強イヤダ試験イヤダ言うもんだから、イヤならやめたらいいよ、ってポロッと言ったら、甘やかさないで!と逆に怒られてしまいました。ふはは。

そうか。本当に辞めたいわけじゃないんだねって分かった。優しくしたつもりで言ったんだけどなあ…笑

 

これから先、先生になってイヤなこともあるだろうに…と思いつつ「気持ちが潰れる/感性が腐る前にイヤなことからは逃げた方がいい」というのが、ここ半年間の私の行動原則なので(笑)彼女が先生になって、また悩み始めたら、その時もわたしは「潰れる前に辞めたらいいよ」って言うんだろうなー!と。

しかし、一晩たち、今朝また考えてみると、試験まで自分を信じて勉強を続ける不安に対峙するのと、先生になってから人との関わりの中で悩むのとでは質は違うよね。って思って一概に言えないから先のことまで心配するのはやめた。

 

 

こういうことは真剣に考えるだけムダなのかもしれないけど…

経験則的には、なんでそんなに不機嫌なの?というのは愚問で、理由などはさして重要ではなく、「機嫌悪くても許してくれる人」というのが重要らしい。それならばこちらは、そうかそうかヨシヨシ、ホットミルク飲むか?といった心持ちである。なので繰り返すけど、こういうことは、短期的な結論としては、真剣に考えてもムダなのかもしれない。

 

しかし長い目では重要だろう。

自分の根底に横たわる暗い何かがフッと目を覚まして(だいたい悩みが深まるのは夜遅く)、自分の弱い部分に襲いかかってくるかもしれない。

エクスペクト・パトローナムの練習だけじゃなくて、根深い部分に自ら踏み込む定期的な壁外調査調査も必要だと思う。

考え始めると深い闇が続くように感じるけど、焦らずやっていけばいいと思う。

やりたいことなんてなくても

自分の人生の残りの時間をどんな心構えで過ごして待つことにするか、自分なりのその作法を心得ている人を大人というんじゃなかろうか。

 

つまりそれは、他者と交わることへの泰然とした態度であり、他者に待たされることへの寛容さであり、自分の持つ思想への誇りであり、他者の尊重(薄情さと敬意を含む)によって裏打ちされているのだと思う。

 

そんなわけで、地に足がついている人と一緒に居られるのは有り難いことです。

 

今日は、退職してから約5ヶ月ぶりの、日雇いでない、勤務でした。はひー。緊張した。

 

採ってくれたおじさん(リーゼント)や、指導係の先輩(香里奈似)が、研修するの楽しそうで、それだけで十分助かった。はひー。

 

仕事のマニュアルの倍くらいの厚さの資料をリーゼントさんに渡されたと思ったら、リーゼントさんが自分でストックした金言集で15分くらい山本五十六の解説してくれた。素敵だ。

 

香里奈さんは、仕事のdilemmaを話してくれた。俺まだ初日なのに。判然としないところでヒリヒリしつつ、大事なものを失わないように悩んでいる構造って抑うつと近いような気がするけど、この人自分の人生を生きようとしてるんだな、って感じた。素敵だ。

 

リーゼントさんと香里奈さんとは、うまい酒が飲めそうな気がする。気がする。

 

はあ。気疲れはしたけど、全体が陽の気でまわっている。ビール飲みたい。はひー。

ライブラリーカウンセリングのススメ

知のトピックがグラデーションで陳列されている。

 

自分が気になると自覚してるトピックの隣接領域が目に飛び込んできて、違うキーワードに出会い、さっと目次と前書きに目を通す。これは!と出会いを感じ、同著者の作品を探す。これが繰り返される。

 

最終的に手元における本を5冊ほどに限定し、選定する。最初は予期していなかったラインナップであるにも関わらず、これを知りたかったんだよね!と落ちてくる感覚ほど痛快なものはない。世界は広くて優しいのだと確信させてくれる。

どんな人が読んでるんだろか

あまり読んでいる人を意識せずに、1人でフフフッとしながら文章を垂れ流しておりますが、ふと、どんな人が面白がってくれているのかなー?と考えるようになりました。

 

どんな文章にだって、価値は存在しうるのです。だって、読み手によって価値づけされるわけですから、誰かの何かになり得る可能性を否定することは無限に無理。悪魔の証明。私の文章が誰かの一瞬を作っていることを、反証することは無限にムリということになります。

 

分厚い本から一つでも示唆を得たならば。

壮大な交響曲から一瞬でも心震えたならば。

汚い酔っ払いの一言にハッとさせられたなら。

予期せずとも誰かの歴史の一部になれたら。

そういうわけです。

はい緊張!緊張ですよー!

明日からアルバイト始まります。

 

朝8:30から事務所の掃除をして、
9時から朝礼い!!!
ここで軽くあいさーつ!ぎゃあああー!!
ちなみに掃除は勤務時間外!!ぐー!!
あはー!!

 

週5日、9〜18時って普通にサラリーマンやないか。久しぶりに背広を着るので緊張です!

 

クールビズでいいらしいけど、明日は初日だからネクタイしていこうかな!暑いわヴォケが!

 

ランチとか誘われたらどうしよう!!
いきなり歓迎会とかあるかなー!?!?

全財産が1500円(PASMOの1000円含む)なので、誘われても困るわー!おごってくれるかなー!おごってくれ!おごれる者も!ひさしからずぅぅう!きゃういー!!!

 

緊張したら、緊張してるって表明した方が安らぐわ。

待つことと、自己愛

「私たちは皆、待つことに翻弄されて生きている」と春日武彦さん。

 

彼の著作に共通して横たわる思想があるように感じていて、言いたいことがシンプルっぽいところが好き。本の中で登場するキーワードを結びつけて読むことが、さながら推理小説のようでもある。推理小説なんて、数える程しか読んだことないけど。

 

例えば内田樹の、「学び」「祝福」「とむらい」「先生」「共同体」「呪縛」「アンダーアチーブメント」「マイノリティ」といった言葉を、繋いで行くような作業。

 

 

忙しさにかまけるのは、いつしか訪れる終わりの日を祈りながら待つことのできない人の、対極にある選択肢なのかもしれない。

時間を感じなくなるためのオマジナイがあって、それは例えば引きこもって時間の流れを断つこともそう。夢を語るが行動に移さない人もそう。

それが悪いとかではなく、それぞれの待つ形があるということだと思う。その待たされ続ける時間を納得感のあるものに昇華していくための原動力が自己愛なのではないか。

 

なんて、読んでいて思いました。

春日武彦さんのキーワードは…

「自己愛」「待つ」「忍耐」「人に立つ瀬を与える」

まだまだ増えそう。