使い込まれたボウルの話。
実家に帰ってきてから、毎晩、家族に夕食を作っている。母親は仕事で帰りが遅いので、帰る時間に合わせて19時から料理を始める。
ある日、母がすごく早く帰ってきた。疲れたので早退したらしい。明日の朝、早く行くらしいけど。
早く帰ってきたものの手持ち無沙汰なようで、台所まで来て、後ろから「何かやることある?」と聞いてくれる。
こうしろ、ああやれと指示を出さない。嫁入りしたときは料理が苦手なのがコンプレックスだったと、聞いたことがある。私はコンプレックスではないけど。そういうわけで気を遣ってくれている。母は、人の自尊心に敏感な人なのかもしれない。
サラダを作ろうとしていると、「そういうときはこのボウルがいいよ」と、年季の入った金属のボウルが棚の奥から出て来た。
色は金色?で、表面は使い込まれたからか、なめされたように滑らかだった。
「これ義母さんが亡くなった時に、もらってきてん。お葬式の後、なんでも好きなもの持って行ってええで言われたから、これだけもろてん。」
父方の祖母は、随分前に亡くなった。元気で、テレビのみのもんたに悪態を吐く、典型的なガミガミばあちゃんだった。
「なんで、このボウル好きなん?」
かつて母は、父の実家に行くのがしんどいと言ったことがあった。我ながら、イヤなこと質問するやつだと思った。
「んー?おばあちゃんと料理したことを、思い出すからよ」
そのあとも母は、同じ素材で作られたオタマが、使い古された結果、円盤の左側だけ削れて楕円になっていたという話をしてくれた。
母は、祖母のことがキライなんだと思っていた。
祖母は年をとるにつれて、お小遣いを渡すようになったり、伏し目がちになって目を見て話してくれなくなったり、段々と上手に真っ直ぐにコミュニケーションが取れなくなって行ったように感じていた。
料理を通じて、祖母は祖母らしく生きていたのね。なんかごめんね、って思った。
母は昔から近所付き合いや、親戚付き合いが苦手な人だった。親戚の寄り合いでも、ずっと台所で苦手な料理を手伝ったり、料理が終わっても宴席には来ず、台所で缶ビールを飲みながら普段は見ないのど自慢を、おばあちゃんと見ていたこともあった。
料理好きのおばあちゃんは、不器用な母の居場所だったのかもしれない。
使い込まれたボウルは、なかなかに使い勝手が良かった。