根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

怒りを飼いならす人

小さいミスがあった。こわい事務のおばさんが静かに近づいてきて、ミスのある書類を私の目の前で放り投げて何か暴言を言い立てた。「なんであんたはそんな風になったんだ」的な、人格的なものを否定するフレーズが入っていたように思うが、この人とは人格を理解されるほどの付き合いはないのでなんとも思わない。息つく暇なく言いたてているので黙って見ていると、落ち着いたのかまた席に戻っていった。

 

昼からは外出業務だったので、書類を持って外に出ようとすると、こわい事務のおばさんが話しかけてきた。

 

「つけ麺屋、知ってる?あそこの通りを入って行ったところの…なんやっけ。大将ってところ。750円もするのよ」

「おーなかなか強気の価格ですね。ちょっと食べてきてみます」

 

この人にとって、怒りというのは挨拶みたいなもんなのかもしれない。あまり深いことを考えるのはアホらしい。

私は怒ると、怒りを抑えられない自分にネガティブな感情が巻き起こるので、怒りを受け止めつつ別の感情に転換して処理する。(不安→具体化する、恥辱→美味しいものを食べて寝る、など)これにすごく時間と体力と気力がいる。

怒りを処理する作法。新しいものに色んなものに触れて、寛容になりたい。

 

そして私は今、昼タイムを大幅に過ぎたガラ空きのつけ麺屋で、名物の魚介つけ麺が出てくるのを待っている。

福岡へ

歌いにいきます。土日は歌いっぱなし。お金ないから遠出は、ほどほどにしないとね。

 

会える人、会えない人います。あなたは感じなくても、私は会えないあなたを想ってます。

 

人の目が見ていなくても風景はあるものだろうか?というフレーズから始まる詩があります。とても好きです。興味があったら調べてください。

 

次は、こくらーこくらー。

我慢と自由のどちらかなのかしら

ある楽団を運営してる。もっと多くの人に届けたいと思ってる。まだまだ無名で、ナメられた態度を取られることもある。最近怒りスイッチ入りやすくて、怒りまくるときもある。

怒ることは感情に素直なことなので否定し過ぎない。しかし我を忘れた後は、後悔する。

 

頭の中からいろんな声が聞こえる

 

・好きなことなんだから我慢できるでしょ?

・我慢がいやなら自由になればよいのでは?

・好きなことして挫折するの怖くないか?

・前より品がなくなってるけどこれが夢に向かって力強く突き進むってことかな?

・きれいごとだけで上手くいくほど、優しい世界ではないよね。

 

昨日から怒髪天案件があり。怒り狂ってまわりに心配されるくらいだった。んーんーって渦巻いていた。

 

落ち着いたらナンテことはないんだ。怒るってことは、困ってるってことなんだと思う。

怒りって、たぶん、便利。ガーターみたいに一度ハマったらそのまま行く。深く考えなくていい。

怒りガーターに入りそうな時は、時間が必要だ。クールダウンだ。自由と我慢って単純な何かに執着するの、やめ。

 

よく考えたら死ぬわけじゃないし。うん。今目の前の我慢が、どうしても受け入れられないものなのか。立ち上がれないほどの許しがたい怒りを100としたら、今の怒りは?

時間をおいて考えてみよ。うん。

それぞれ並行して

昨日は仕事で、ある人の人生の局面に立った。地獄を見て、今も過酷に生きてる人。諦めたらあかん。今日は決戦。彼の希望を背負って、どんなアホと思われても今日は勝つ。

 

昨日は親の結婚記念日。31年目らしい。花束を買って帰ったら喜んでくれた。母は華道をやってだことがあり生けてくれた。幸せ。

 

歌の方はピリピリ緊張と、安心までの時間。地に足つけてやれば必ずなんとかなる。

 

並行している。波がある。今を生きよう。

信じるもの。

小学生くらいの頃から、いろいろな宗教に触れる機会の多く、信仰の尊さというか強さを肌身で感じらことが多かった。

 

天理教創価学会エホバの証人キリスト教(プロテスタント)、浄土真宗

まだムスリムの知り合いは居ないなぁ。そんなこんなで信仰を持つ人は逞しいと経験則的に思っている。そして、信仰は他の信仰を裁けないということも、経験則的にわかっている。

 

高3の冬、大学受験を一緒に頑張ってた友人から、自分は創価学会の人間なんだと言われたことがある。彼の口調は、さながらカミングアウトだった。

とても緊張した面持ちで話してくれたけど、最後の最後で自分の勉強したいことを目指す!と言って、一緒に目指して居た地元の国立大学から創価大学に進路を変更した。

それをわざわざ話してくれた。その心遣いが嬉しかったし、私は前述のとおりなので、彼の信仰に対して偏見を持つことなど一切なかった。

 

1ドル紙幣には「TRUST IN GOD」と書いてあるらしい。神の名において、この紙幣に価値があると信じる。という意味があるのかもしれない。

そうつまり世の中のお金は、それに価値があると使う人が認定することによって、つまり信用によって価値が生まれる。それが通貨が通貨たる由縁なのです。これは紛れもなく、一つの信仰の形と言えよう。

昔あるアメリカの映画で、裁判にかけられた本物のサンタクロースを弁護士が守るという、いかにもアメリカらしい映画があったのだけど、1ドル紙幣を手に持って「貨幣価値を信じるように、人は信頼によってそこに価値を見出す」という演説をするシーンがあったように思う。大学の経済学の講義のイントロダクションとして、見た記憶がある。

 

そうつまり、信仰があるところには大きなパワーが生まれる。

 

20:50ごろ、ある友人から電話がかかって来た。歌で知り合った友人で、聖教新聞で働いていると最近知った。

すごく熱くていいヤツ。人格が出来上がっており、彼をこうまでしたのも信仰の力なのだとしたら、素晴らしいことだと思う。

電話に出ると、「(私)さん、突然すいません。お願いがあります」と。言われるまで気づかなかったが、明日は投票だ。なるほど。

今日の昼に全政党の選挙公約を読んでいたので、公明党の政策で気になったことをいくつか質問した。しっかり答えてくれる。さすがだ。

 

何を信じているか、ということ以上に、どんな態度で自分が信じるものを抱きしめているか。というのが内側から滲み出てくる人ってのは、接していて気持ちいいもんです。

だから、投票のお願いの電話でも、全く嫌な感じがしない。

 

自分の選挙区の候補者の公約は明日の朝に読むぞつもり。何かの間違いで雨やんでほしい。

ありがたい話

いまの職場は人が足りてない。毎週、採用面接をやっているけど、いい人は来てくれず、すぐ辞める人ばかりが集まるらしい。人事のおっさんが愚痴っている。

 

仕事の内容がやはり特殊なんだろうか。んーたしかに特殊というか、取り扱う内容がディープに人の人生なのでナイーブな人には合ってないかもしれない。

しかし、かく言う私もナイーブで、もし全日本ナイーブ選手権というものがあるとしたら、西日本大会では五本の指に入るくらいナイーブだと思う。

でもやれる訳は?恐らく、ナイーブを乗り越える意義を仕事に感じてるんだな。

 

ありがたい話というのは、正社員になりませんかという話を前々からいただいており、自分の気持ちが固まって来たという話。時期は早くて年始から?遅くて次の夏。早くなりてーよ。

 

そう。実はいま、バイトです。月〜金曜9-18時で働いてますがバイトです。時給1200円です。実家暮らしなのでかなり儲かってます。あざーす。

 

OKとNGの間のグレーがほぼない仕事なので、求められるクオリティは社員と同じ。まだ4ヶ月で、学びながらやってます。周りが見えないほど必死になったり、死ぬ気で食らいついていくのが苦手なのですが、学びながら心に余裕を持ってやってます。とにかく好奇心駆動なのかな。

事務的な仕事なのに、関わる人の人生観や、相手の人格の本質に触れている実感があります。たぶんこの仕事が好きです。

 

もしかしたら、この道で食っていきたいかもしれない。と思ってます。でも他にもやりたいことはある。何歳になっても、どんな環境になっても常に新しくやりたいことが形を変えて、本質は変えずに姿を現わすのです。

そういえば飲み屋をやりたいと言ってたあいつは元気だろうか、歌手になりたいと言ってたあいつは元気だろうか、金持ちになりたいと言ってたあいつは、結婚したいと言ってたあいつは、あいつは。そんなことより自分は?

 

死ぬまで叶えきれないものを持って歩んでいくのは、幸か不幸か。しかし私は、そういう生き方しかできないのかもしれないです。

仕事に生き方を求めるのではなく、生き方から働き方を見出す。

仕事って、条件もゴールもコロコロ変わるし。だから、目指す生き方に相応しい働き方を探せばいいのかなと思う。

仕事と働き方は、似て非なるものだ。

 

もう少し考えてみます。

本当の意味で振り返る

薄々気づいてたけど、三連休、東京の公演の前後から心身の調子が悪い。端的に言って、何事にもやる気が起きない。ガツンと感動しない。強いていうなら昨日歌をやってる時だけは、「今ここ」だったから、マインドフルネスだったけど。うん。

 

薄々気づいてたけど、東京公演は自分の(広義の)パフォーマンスが本当にひどくて。人に感謝される段じゃないと。はあ。

今はそれを受け止めながら、建設的な方向へ思考が流れるのを待つ。

 

そういう気持ちになってることを言語化できてることだけでも、進歩だよな。薄々感じてるやつ。しっかり言語化。