自己愛と自己嫌悪は似ている
「立つ瀬をもたらす」という点で、自己愛と自己嫌悪は似ている。自傷行為も、暴力行為も、気晴らしとなる全てが近い性質を持つだろう。
同じところをぐるぐるしながら、自己愛や自己嫌悪に色を変えていく。あまり遠心力が強すぎると、人は立っていられなくなるのかもしれない。
無頓着、天真爛漫、気楽でいられたら…そんなことをウダウダと書き連ねていく未熟さと卑しさ。そんな自分が好きなのだ。
きっと多くの人が気づいてある。僕の額から、自己愛がとめどなく垂れ流されていることに。あさましい。
なんてことを書いているそばで、今日の夕食の献立を考える。狂気はいつだって日常と同居しているようにおもう。