絶対折れない心の根っこを作ろうとする脆さ
先日、ある本で「エンプティチェア」という自分の心と対話するワークを知った。トラウマティックなシーンを緩やかに再現して、自分の中にある自分と対話したり、苦手なあの人の立場になってみたり。それを、いかに上手く演じるのではなく、スーッとダイブしていくか、という難しさがあるのだけど、自分がやってみたいことに近かった。
調べていくと、アドラー、ゲシュタルト、TA( Transaction Analysis,交流分析)という単語がよく登場する。あまりよくわからんけど。
そんな風にネットをサーフしていると、気持ちがすっとなる動画に出会った。コーチング指導セミナーをやっている方の動画。すごくすっとした。今日はもう、これだけでいいような気がする。
人生ではなく『海外旅行』と思うと【宮越大樹コーチング動画】 - YouTube
違う星から80年くらい地球に旅行に来たんだと。
そういえば元気だった頃、悩んだときは「長い宇宙の歴史で考えれば、チリみたいなもんだ」とか冗談で思ってたことがあったけど、それよりは健全そうなイメージだなあ(笑)
こういう、心が一時的にフワッと楽になるものを持っていること自体を、私は最近まで軽んじていた。
強靭な根っこがないから、気休めしてるだけだと思っていた。こういう気休めは耐久性が低いから、すぐに飽きがくる。だから無駄だと。
しかし、最近ある本と出会って考え方が変わってきた。全然無駄ではない、というかむしろ、"「強靭な根っこ」に対する神話性・潔癖性・"のほうが脆いんじゃないかと感じ始めた。
また、こんど頭の中で整理してみよう。