根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

コマは回っているから立っている

ハローワークで、なんでも相談できる窓口があって、そこを利用させてもらった。白髪の優しそうなオジさん。以前に福祉介護職を経験されたんだとか。お医者さんではないけど、相談員的な資格を持っているらしい。

 

「なんでも話してくださいね。うつの方は、話し相手がそもそも少なかったりしますから、仕事に関係なくても雑談でも何でもいいんですよ」、「4人で毎日かわるがわる、窓口を担当しているので、色々な人と話してみてくださいね。」と。

ありがたし。

 

「次の職場でまたストレスを感じたらと思うと不安なんです。働く先では、自分は鬱を経験していると伝えた方がいいんでしょつか。」

「んー言った方がいい時もあれば、言わなくても大丈夫なときもありますねえ。ご自身のいいようにされるのがいいと思いますよ。」

専門家らしさを感じない、ウロウロした話し方も今の私には有り難かった。断言される方が、後から尾を引いて私の思考を支配するということを、私は経験則的に理解していた。

 

「お話をしてると、そんな風には(心に病があるようには)見えませんけどね。」

(以前よりは声も小さいし、姿勢も悪いし、目も半開きみたいな感覚だし…)と自己評価していたけれど、他人様から見ると、これが私なのだ。そう感じ取られてしまったことを変えることはできない。

自分の殻の中で、自分を見つめて虚しくなる。うつとは、そういう病なんだな。オジさんの心無い言葉に、私は思ったほど傷つかなかった。少し嬉しくもあった。この面談をした50分間、おじさんは私にとって「世界」だった。

 

「はい、はい、」と相槌を打ちながら聞く。話の中身というよりは、オジさんと時間と空間を共有していることにささやかに喜んでいるだけの時間だった。オジさんはゆっくり話を続けてくれる。

 

「いきなり鬱なんです。と言われても、困ってしまう人もいるかもしれませんからね。『落ち込みやすい性格なんですよね』と言ってみるのもいいかもしれませんね」

 

私もかつて、初対面の人に鬱なんですと言われたものの咄嗟に何と答えたら良いか困ってしまったことを思い出した。今思えば、「なんて言っていいか分からない」と少し笑って正直に伝えてあげれば良かったのかなと思った。そして私はいま、他人に気を使わせてしまわないかと恐れていることを改めて自覚した。そしてそして、私は、すべての人に短時間で私を理解してもらえるような魔法の言葉を無意識に探していたことに気づいた。

 

 自分の人生に関わる人、全員にうつのことを分かってもらえなくてもいい。

完全に理解許容されていける白いゾーンと、ひた隠しにしながら生きていく黒いゾーンがあるのではなくて、

お互いを特徴として理解しながら、少しダメな所あるよなぁと思いながら、それでも自分の一部としてお互いを許容しあえるようなグレーで、どこかアンバランスな生き方がどこかにあるんだとおもう。

 

そういえば安定とは絶えず揺れていることによって産まれるって、物理の偉い人が言ってた気がする。コマは回っているから自立するというような話。

 

急がず焦らず。