根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

お金を稼ぐ

ふと、自分は自分の仕事の価値に対してお金をもらっていると実感した経験が、ほとんど無いことに気づいた。大学時代も、アルバイトの経験がほとんどなかった。その頃は、自立したいという欲求も必要性も感じていなかった。サラリーマン時代は、金より好奇心で駆動していた。当時は幸せだったが、本当は自分に、金と好奇心の両立をもっと強く課すべきだったのだろうか。わからない。

 

さて、今日は人生二度目の日雇いアルバイトである。一回目は、10年近く前になるだろうか。サークル仲間と連れ立って自衛隊のイベント会場へいき、来場者が海へ転落しないように一日中海沿いに立っている仕事だった。
撤収間際に、スキンヘッドで額に深いアザのある熊のような風体のおっさんに声をかけられ「きみ、〇〇大学?幹部候補に応募してみー」とスカウトされたのを覚えている。あのおっさんは元気だろうか。

 

集合は7:40。いつも起きている時間。といっても、もう一度寝て本当に起き上がるのは一時間後。緊張からか、6時の目覚ましで一発起床に成功した。

 

田舎の不慣れなラッシュに揉まれ集合場所についた。集合場所には、汚い茶髪の中年女(外来種と呼ぶ)と、あごひげを蓄えたシャツ姿の中年男が数名いた。

道端に停められた車には、派遣会社の名前が書かれている。これだ。

 

私の緊張は、さながら控え室入りする新人芸人と近いものである。謙虚に感じ良く、足元を見られないように逞しく。

 

「おはようございます。」

 

力みを少し抜いたニュアンスで声をかけることに成功した。さっきまで何かを話していた外来種は、急に黙って伏し目がちになり、自分の髪をくるくる触っている。汚い。
私は瞬時に、この外来種は、真ん中の6割だと思ったので(真ん中の6割という言葉については、いずれ説明する)、髭男爵にもう一度あいさつをした。

 

「おはようございますっ」

 

言葉に少し勢いをつけてみた。さらに私は浅く頭を下げた。さながら、今表明できる、不自然すぎない範囲における最大限の感じ良さであろう。一番ヒゲの豊かな男爵が、奥のアレね、といって先頭のワゴン車を指差した。指が太い。

 

ふと昨日の夜の電話を思い出した。この派遣会社から電話。いろいろあったが、先方のミスで予定の仕事が中止になったのである。電話の主は、とても柔らかい声でお詫びの言葉を陳述している。

私は月末に東京へ行きたいのだ。もう夜行バスは予約して、手渡しの給料でコンビニ決済したいのである。私は少し落ち込んだ声で、代わりのやつありますか?と尋ねると、電話の主は申し訳なさそうに代案を出した。これに私は快諾した。
このときの声の主と、先ほどの外来種や指の太いヒゲ魔人が同じ会社だということが私の頭の中で繋がらなかった。少し混乱した。

 

しかし、指は先頭のワゴン車を指差している。

 

「あちら、はい、ありがとうございます。」

 

小慣れた感じ。絶妙なこなれ感を出しながら、私はヒゲと外来種の元を離れてワゴン車に乗った。集合時間10分前であった。

 

私は緊張していると、世界は自分しか存在していないかのような不安に襲われる。私は、部屋に1人で芝居をしていて、別室から誰かが黙ってこちらを見つめている。
そんなところに身を落とされたような錯覚になる。先ほどの外来種やヒゲオヤジとの遭遇もそうであった。しかしなぜ、この手の中小企業の中間管理職ヒゲオヤジは、皆総じてインテリ風メガネをかけているのか。誰か教えて欲しい。

 

ワゴン車には、この世の果てのような顔をしてスマホを触る女と、スマホを触る青ヒゲの男がスマホを座っていた。こいつはしっかり剃っているのに、髭が青い。あーもう。
「おはようございます」と、挨拶をするも返ってこない。はいどうもありがとうございまーす。

 

私もスマートフォンを取り出し、この状況を記録することにした。軽車両に乗せられて、知らない男と1時間の退屈な対話を強いられると想定していたが…民よ見るがよい。ワゴン車なのである。こんなに嬉しいことはない。

 

しばらくすると、白髪のおっさんがワゴン車に入ってきた。剃り残し青ヒゲ男が軽く挨拶をするも。知り合いらしい。2人とも常連だろうか。

そういえば、10年前もこんな光景を目にした記憶がある。ここだけで成立している独特の、臨時の社会があるのだろう。おそらく、このワゴン車にも定位置があるのだろう。私は誰かの定位置に座っているのが知れない。新人は助手席だろうか。やなこったである。私はスマートフォンを遠慮なく触りたいのだ。そして、紫外線もきになる。

後ろからがさっという音が聞こえた。誰かいたのか。さながら亡霊である。

 

そんなこんなで、今から一時間くらい車に揺られて、地場小売企業の倉庫へ行き、ずっとピッキングをする。私は、私の価値を発揮して、迷惑をかけず気持ちよく働けるだろうか。願わくば、一緒に働く人に再会を期待されるほどの成果を残したいが、ラーメンが食べログ評価★五つを獲得できないように、日雇い労働者に★五つはつかないのである。ラーメンと回らない寿司屋を比べてはいけない。

 

青ヒゲは、白髪に、レギュラーで雇われている別のバイトの愚痴を話し始めた。もう、がんばってほしい。

 

あ、着いた。9時スタートにしては早すぎないだろうか。帰りたい。