根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

信じるもの。

小学生くらいの頃から、いろいろな宗教に触れる機会の多く、信仰の尊さというか強さを肌身で感じらことが多かった。

 

天理教創価学会エホバの証人キリスト教(プロテスタント)、浄土真宗

まだムスリムの知り合いは居ないなぁ。そんなこんなで信仰を持つ人は逞しいと経験則的に思っている。そして、信仰は他の信仰を裁けないということも、経験則的にわかっている。

 

高3の冬、大学受験を一緒に頑張ってた友人から、自分は創価学会の人間なんだと言われたことがある。彼の口調は、さながらカミングアウトだった。

とても緊張した面持ちで話してくれたけど、最後の最後で自分の勉強したいことを目指す!と言って、一緒に目指して居た地元の国立大学から創価大学に進路を変更した。

それをわざわざ話してくれた。その心遣いが嬉しかったし、私は前述のとおりなので、彼の信仰に対して偏見を持つことなど一切なかった。

 

1ドル紙幣には「TRUST IN GOD」と書いてあるらしい。神の名において、この紙幣に価値があると信じる。という意味があるのかもしれない。

そうつまり世の中のお金は、それに価値があると使う人が認定することによって、つまり信用によって価値が生まれる。それが通貨が通貨たる由縁なのです。これは紛れもなく、一つの信仰の形と言えよう。

昔あるアメリカの映画で、裁判にかけられた本物のサンタクロースを弁護士が守るという、いかにもアメリカらしい映画があったのだけど、1ドル紙幣を手に持って「貨幣価値を信じるように、人は信頼によってそこに価値を見出す」という演説をするシーンがあったように思う。大学の経済学の講義のイントロダクションとして、見た記憶がある。

 

そうつまり、信仰があるところには大きなパワーが生まれる。

 

20:50ごろ、ある友人から電話がかかって来た。歌で知り合った友人で、聖教新聞で働いていると最近知った。

すごく熱くていいヤツ。人格が出来上がっており、彼をこうまでしたのも信仰の力なのだとしたら、素晴らしいことだと思う。

電話に出ると、「(私)さん、突然すいません。お願いがあります」と。言われるまで気づかなかったが、明日は投票だ。なるほど。

今日の昼に全政党の選挙公約を読んでいたので、公明党の政策で気になったことをいくつか質問した。しっかり答えてくれる。さすがだ。

 

何を信じているか、ということ以上に、どんな態度で自分が信じるものを抱きしめているか。というのが内側から滲み出てくる人ってのは、接していて気持ちいいもんです。

だから、投票のお願いの電話でも、全く嫌な感じがしない。

 

自分の選挙区の候補者の公約は明日の朝に読むぞつもり。何かの間違いで雨やんでほしい。