意味を見出す
職場のおじさんが掃除は心を磨いているのだと大きな声で説教しており、席替えで向かいの席に座らされている先輩が不憫でならない。
私はそんな話を楽しそうに聞く器を持っていない。
つまらないことをやってたり、暇な時間があるから、悩み始めるという話は往々にしてある。
悩み全てが「そんなことを考える余裕があるから」と一蹴することまではできないにしても。
つまらないことをやっていると、考える余裕が生まれる。次第に自分のやっていることに意味を与え始める。
確実にしかしゆっくりと向かってくる死という不安に意味を与え始める。
わからないこと、つまらないことに自分なりの意味を与えて自分の一部として引き受けることを悟りと呼ぶのではないだろうか。
だとすれば、人から「掃除をして悟れ」と強いられることは悟りの姿勢、つまり、自発的に見い出す姿勢から最も遠いことになるだろう。
職場の、朝の掃除時間にそんなことを考えてた。