根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

アドレリアン

アドラー心理学を用いたカウンセリングを独学で勉強している。アドラーは「勇気づけ」を推奨しているが、それは褒めることとは似て非なるものだとしている。

 

褒めること、すなわち条件付き評価は、内発動機付けを阻害するため、起きている事実を客観的に述べ、それがその人のありたい姿に沿った姿であることに気づいてもらう。軸を作っていってもらうようにすることを推奨している。

 

そんなことを考えていた矢先、ある資格に向けて頑張っている友人と話すことがあり、話していくうちに変な感じになり、とうとう「褒めて欲しかったのに」と言われてしまった。なんだこいつ正直すぎる。なんて思ったりした。

 

なんて思ったりしたけど、私も傷ついた。今までだったら普通に彼と仲良くやれていた私は、なぜか彼を怒らせてしまった。私がアドラー心理学を勉強し、それを通じて彼を捉えようとしたからだった。

 

正直、アドラー心理学の勉強をもうやめようかと思ったけど、もう少し頑張ってみようも考えたのは、私は私の目的に、つまり「多くの人が内側から輝いて生きていけるようになってほしいという願い」に向けて、精一杯振る舞うことをアドラー心理学は推奨するからです。

だから、もっと学びたい。もっと。

 

果たして、条件付き評価を求めるこの友人のことを、アドレリアンはどう扱うべきなのでしょう。

私なりの見解では、もう一歩メタ認知に踏み込んでいく必要があるのかなと思う。彼の軸を探すために。

なぜ彼が、そこに他者からの「褒め言葉」を必要とするのか。彼にだって褒められなくたってやってることもあるけど、それとこれの違いは何か。

本当は、内側から輝ける人でも、外発的動機づけに手を伸ばすことがあります。それにだって必ず何らかの目的がある。安易にそれを否定せず、それを尊重していく解法を前提とするアドラー心理学を僕は大切にしたい。

 

そんな気持ち。