根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

友よ、出産と婚活と血圧よ(追記)

バッハのコラールみたいなタイトルだな。それを言うなら、主よ、人の望みの喜びよ。である。アーメン。

 

冗談はさておき、違和感がずっと私の頭の中にある。先ほど昼に話した友人との会話の違和感がこびりついていて。大切な友人なので、この手の違和感は、今まで放置しておくことが多かった。どうなろうと大丈夫だと思っている。

(友情とは何なのか、という問いについては今は答えない)

 

ただ過去に、その手の違和感を放置したことがあり、そして後悔したことが一度ある。もっと感じたことを伝えればよかった。例え、友の結論が変わってなかったとしても。最悪しばらく疎遠となっても。

 

また今回も、私は言えない気がしており、しかし言いたい。ただ上手く伝えられるか不安なので、今ここで展開してみたい。

 

その友人の主張はこうであった。

 

1.他人に対して、ファックユー的な考えや言動が出てしまう、そんな自分がいやになる。

2-1.子を持つ女性は往々にして慈悲深く、私もそうでありたい

2-2.加えて女性に生まれたからには、愛する人との間に生まれた出産の神秘を体験し、自分の身体から生まれた子を愛し育てたい

3.ゆえに子種が必要

4.ゆえに婚活する

 

論理的な飛躍が激しい。目的と手段が一致していない。従って、指摘もチグハグなものになりやすく、響かない可能性がある。切るところを間違えると神経を傷つける脳オペのような気分だ。

 

1.他人に対してファックユー的な考えや言動が出てしまう、そんな自分がいやになる。

・A1-1.こうありたくない、というゴール設定は健全で合理的な手段を選べなくするリスクがある。どうありたいかを考えて欲しい。

・A1-2.だいたいは空腹、生理前、二日酔い、嫉妬、期待への裏切り...etcに起因するものだと思われる。そして、1人の人間に対して温情や慈悲やファックユー的なことを思うのは極めて人間らしい。人間は不完全に作られてるんだ。必ずしも子を産む必要はない。


2-1.子を持つ女性は往々にして慈悲深く、私もそうでありたい

・A2-1.多数の例外を知っており、それらはA1-2である。水を飲んで深呼吸しろ。10数えてから今の怒りを気持ちを10段階で評価するとか、そういう対処法が世の中にはあるのだ。必ずしも子を産む必要はない。


2-2.加えて女性に生まれたからには、愛する人との間に生まれた出産の神秘を体験し、自分の身体から生まれた子を愛し育てたい
3.ゆえに子種が必要
4.ゆえに婚活する

・A3-1.「家庭を持ちたい」という共同体感覚(=他者を自分の一部として生きていく感覚、人間が他の動物より弱いために必要とする種としての生存手段、社会性)をあまり感じなかったところに違和感があった。身体性の神秘とか、感動や苦労によって後に美談となるのだろうか。そんなサザエさんみたいなのって、有り得るのだろうか。私の母は、私が病気で実家に帰ってきた時に、謝りながら自分自身に怒っていた。私も泣きながら自分を恨み、怒鳴りながら謝っていた。そこに渦巻いていたものは自分や他者に向けられる愛憎だった思う。幸せとは何なのか、わからなくなった。何歳になったって、子と親は、そんな矢面に立たされる運命を背負うのだと知った。

・A3-2.子を産めば見えてくる想像を絶するもの(幸福も、苦労も)が到来してからでは、引き返せない。それを私がひたすら心配しているに過ぎないのだけど。心配しているからと言って、後から鬼の首を取ったように「ほら見たことか」と主張するつもりもなく、ただ、私には友人を支える力がなく(もちろんダービーで、500万くらい買っていたら少しは援助できるが)、心配が募る。心配とは、リアリテへの希求だ。友人は東京で産むのだろうか。実家に帰るのだろうか。仕事はどうするんだろうか。そんなことが結構まあまあ楽観的になり、それでいて地に足が着いてる感じがしなかったのが少し怖かったし、ファンタジックな何かにほだされてるんじゃないか?と思って、ふうとお代わりの味噌汁を飲んだ。私にそこまで言われる言われがどこにあろうか。「私は心配している。」ということに過ぎない。

 

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やや、まあ本当に良い相手を見つけ、結婚するとなったとき、果たして「子どもが欲しい彼女」がそこにいるだろうか、それすらも疑問めいてきた。

行きたい方へ行けば良いと思う。その過程で当初のゴールを見失ったとしても、そのことに気づくための旅なのではないかと思う。気づかなくても、それはそれで人の道なのだから、いいじゃないかと思う。

そうでなくても、私たちは知らないうちに多くのものを選んできているのだから。