根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

過剰な一般化、論理の飛躍、学習性無気力、結論の保留、カウンセリングの有用性

しくじると、全てのことが苦手に見えて、次のトライが怖くなる。過去の事象、全てのものに当てはまるような気がしてくる。

鬱になり、過剰な一般思考が捗る。「ここでダメなら、他でもダメ」、「できないの?社会人の常識よ?」、「嫌な上司、どこに行ってもいるからね」

これらの言説、跳ね除ける気力も段々すり減って、袋小路へと入り込む。

 

…七五調、思ってたよりストレスフル。

 

袋小路にはいると、妙に饒舌になる。こうなる、するとこうなる、そして、こうなることは明らか。といった具合に。しかし、そこには認知の歪み/論理の飛躍が存在することが多い。

 

心理学の世界に、学習性無気力というのがあって、ざっくり言うと、「長期にわたって、原因不明かつ回避困難なストレス環境に置かれると、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなる現象」のこと。

原因不明かつ回避困難なものに、後付けで(飛躍しているにせよ)論理を構築するのは、かなり胆力のいる作業だと思われます。恐らく人間以外の動物は、そんな作業は行えない。

本来まったく論理性のない物事を対象に、なんとか法則化・言語化をしようと、日々繰り返される思考の中でゴムが疲れていくかのように伸縮性・耐久性・たゆみを失っていき、結論を急ぐのかな。「この辛さを説明できないなんて、そんな不幸があって良かろうか」という心理状況は、十分理解できます。

 

メンタルカウンセリングの有用性は、必ずしも具体的な打開策がすぐに導けなくても、モヤモヤを携えたまま、そのモヤモヤに対する判然としない思考を早々に切り上げず、余裕があるときに眺め続ける環境が提供できる点にあると思う。