根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

私小説「国道30号線」

私を山奥まで運ぶこの女は、いまどんな気持ちなのだろう。月曜、朝の国道は、予想どおり混んでいる。

私は月末の上京に想いを馳せながら、高速バスの価格を調べている。よし、まだ売り切れてない。今日のバイト代で買える予定。

 

このバイト先は、母が私に紹介した。部下のミスで、印刷発注したチラシが折り加工されていなかったそうで、それを朝から晩まで折る仕事。私のような時間を持て余した病み上がりには"うってつけ"だと、鬱屈とした気持ちにそよ風を吹き付ける。そんは退屈さをしっかり搭載した仕事であった。

 

チラシがあるのは、山奥の事務所。私は、あと2日間だけ同僚となるこの女、母の部下の車に乗せてもらい、山奥へと分けいっている。

 

この女は何を考えているのだろう。何を聞いても柔らかく肯定ばかりするこの女は、先ほどから「道が混んでいるので定時に間に合わないかもしれない」と、しきりに私に申告するので私は無関心にあぁそうですか、と答えた。

そのくせこの女は、定時をまわっても自分の作業が終わるまで手を止めない。貴様は時間給なのだ早く帰れと、いう周囲の目を感じ取ることができない鈍感な、極めて愚直な人間である。

 

赴く事務所は、部外者を歓迎する空気はないと。そんなことを母から先だって聞いており、「あらあなた、ミエコさんの息子さん?」と無頓着に聞いてくる者もいるだろうと、母はしきりに心配していた。

私は頭の中に胸毛の濃いイタリア人を住まわせる。「イタリアでは無職でも痛くも痒くもない!チャオ!」と笑っているこのイタリア人を自分に憑依させて、どんな無粋な問いにも答える準備が整っている。

 

この女はいま、どんな気持ちなのだろう。今日で会うのが二度目となる男を後部座席に乗せて、1時間近く会話を交わさず山奥へと分けいっていく、この女の今の気持ちを知りたい。