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根が深い。

ネアカとネクラな世界を行き来する陰陽師。

コミュ力信仰。

4年くらい一緒に音楽をやっている友人と歩いていると、夜19時くらい。道すがらのアイリッシュパブのオープンテラスで、即興でアコーディオンとギターをかき鳴らしているオジサンたちがいた。お店が呼んだわけではなく、本当に「ちょっとやらしてね」という感じのオジサン。アイリッシュフォークかな。

 

二軒目の店は後回しにして、1杯そこで呑むことにした。オジサンたちのアドリブセッションを横にビールを飲みながら、コミュニケーション能力ってなんだろうねと語り合った。話した中身は右へ左へそれて面白かったんだけど、「コミュ力信仰、ってあるよね」って話になったのが印象的だった。

 

・コミュ力信仰 =人から理解されやすいことが最もすばらしい

・学び信仰 =価値観を揺るがされる経験の連続が最もすばらしい

・情熱信仰 =情熱を失わず走り続けることが最もすばらしい

みたいなやつ、モヤモヤ感ってあるよなって思った。

 

いや、「人から理解されやすいこと」は良いことなんだけど、それよりも「理解されにくい人を拾いに行くチカラ」とか、「理解されてないかもしれないから伝わりやすくしていこう」とかそういう自己矛盾の中で葛藤していることのほうが、トータル長い目線で世の中全体のコミュ力をあげていくことになるでしょう。

 

ってな具合で、話は変わらないようで変わりますが「やりたいことをやればいい」ってのと、「やりたいことを仕事にしなきゃ」ってのは違うものだし、「やりたいことで一回くらいお金もらえたら、嬉しいわ~」くらいのゆるさがいいじゃん。そのほうがサステナブルじゃん。情熱絶対主義、やめよ、って思った。

 

だから、アドリブで、「今、ここ」が自分に許せるし、楽しいんじゃん。