つらい記憶と対峙する、脳内小旅行
気がつくとカウンセリングや心理に関する本を、もう20冊くらい読んでいた!遅読マンだったのに、斜め読みが得意になった。少し嬉しい。「まだ出会ってないにもかかわらず、"こういう内容を読みたい"というイメージがクリアな状態」という不思議な、矛盾した部分があって、それに辿り着くまでひたすらページをめくりまくっている感じ。小説はこうもいかないのだろう。
ここ数日、気分が乗った時だけ、辛かった時のことを思い出して1つずつ整理している。
憎しみを伴って投げ掛けられた強い言葉の記憶もあれば、良かれと思って掛けてくれた言葉に傷ついたこともある。
言葉もあれば、視線や表情、匂いや音もある。1年以内のものから、子どもの頃のもある。
3秒くらいで息切れて終わる時もあれば、1時間くらいボーッとそのシーンを見つめていることもある。
そのときの自分の心のフィルターを、観察・分析・点検しにいってくる旅。1つずつ惑星を旅するような、タイムマシンに乗ったみたいな、不思議な感じ。
こういう心の小旅行が、嫌な記憶で途中やめにならないようにしたり、最悪の結末イメージのまま終わらないようにする、思考の腕力や粘り気みたいなものが、少しずつ付いてきている気がする。
ストレッサーの無い世界に行きたいとは思わない。ストレスと痛みを感じない人間になりたいとも思わない。
たぶん、他人の痛みに歩み寄れる人間でありたいという根っこがあるのだと思う。