なぜうまくいっているか
うまくいってるときは、なぜうまくいっているかを考えたいと思いにくい。
1人の人間の中で、触覚を操る。
コックは指先の熱を感じる感覚が鈍り、舌の感度が上がっていく。
空手家は拳の感度が鈍くなり、足の裏の感度が上がっていく。
こっちのコミュニティでは当たり前だったけど、こっちでは違うというハザマで悩む時、違う人間になれとまでは要求されていないんだと気付いた。使う部位と感度を操ろうとってことなんだ。
一つの仕事のなかでも、感度を変えていかないといけないときがある。最初は大雑把に整理して、一度中くらいの規模で決断して、最後に向けて細かくなる。
使うべき部位と、その部位の感度を変えながら、進んでいく。
その感度の上げ下げがどうも上手くいかない人のことを天才と呼ぶんだな。上手くいかないってのは、頑なに拒むのではなく、本当にわからない状態のことだよ。
今日1日に集中
友人Hが海外へ行った。少なくとも2年間の留学。初の一人暮らしが海外。人見知りだけど大丈夫かな。
昨日、Hともう1人よく飲みに行ってた友人Yの3人でラインしてた。
考えたら不安になるから旅行気分で行ってくるよ、と。楽観視は才能だよね。
Yが言った「辛いことがあったら、その日1日に集中だよ!」
Yは若い頃に単身留学して、現地で心を病み、治療しながら約6年を向こうで過ごした。
2人とも私の良き理解者。少し寂しいけれど、再会を誓った。俺もカッとしたり、グッとしたりするけど、目の前の今に集中するよ。そして1日の終わりにビールを飲むんだ。
異動
アルバイトなので厳密には異動ではないのだけど、仕事のポジションが大幅にチェンジ。さらに専門的な領域に突入。給料は増えないけど、転職で同じ仕事の正社員に就職できる見込みは上がった気がする。
関わる人間が増え、間違えたらやばい仕事が増え、コミュニケーションにおいて踏み込むべき場面も増え、学ぶべきことも多い。
具体的には言えないけど、かつての自分を相手にするような仕事なので、今までよりも仕事の上で踏み込んでいけるのは単純に嬉しい。
仕事に裁量とこだわりを持てるっていうのは、お金がもらえるよりも嬉しいことです。ほんと。
焦点を変える
焦点がグワングワン変わった。
あー絶対やめてやる。って思ったし、
もう少し頑張ってみようか、と思ったし、
再びクソッタレボケ!と思った。
私の中には、揺るがし難い自分がいるのだ。
誰にも揺るがしようのない自分。
サラリーマンたるもの、椅子は前半分に腰かけなさいと言われようが。
あなたは私がいない時だけ仕事をサボってると聞いたんだけど本当かしらと聞かれようが。
必要以上に冷たくキツい口調でないと他人とコミュニケーションできないディグニティ依存のクソババアに説教されようが。
はい!すいません!はい!はい!はい!と頭を下げて、周りに白い目で見られようが、ファックオフ。
昼休みにアートプロジェクトの本を読んだ。
「アートって、今あるところから少し違うところに行くからこそ面白いわけじゃないですか」と書いてある。
「だから心地よいものだけを並べるんじゃなくて、少し気持ち悪いものやキワドイものがないといけない。」
そうか。約束された結果の対価としてお金を払って享受するのではなく、わからないけど遭遇して答えが出ないものを抱え込まされる感覚がアートの価値なんだな。
読んでる本のそこでのトピックは税金とアートで、その投資効果をどうやって計測するの?ってものだったんですが。そこで読み止まってしまった。
「キワドイものが、税金でまかなわれてるイベントに登場して許してもらえるかなーって難しさはありますよね」
そうか。私は、ずっとこれを抱えてたんだ。答えはない。
逆もある。
私は、何かきれいなものを期待しているのではないか。私は、何とも交わらない、心地よいものだけを並べた変化のない環境で働くことを求めているんだろうか。
そういう問いを突きつけられると、答えは迷わずyesである。今の仕事にやる気も情熱もない。全くない。誤解しないでくれ。
今の仕事をしていて、アート性が私に話しかけてくれることを1ミリも予感しないし、期待しない。
私が「いかに世界を見つめるか」という限りにおいて、そこにアート性が創造されるのであれば、私はそれを職場に設けない。設けないぜ。
アートは私を変えるのではない。
変わりたいからアートが生まれるんだろう。
なんの話だっけ。
悩みごと
このブログはもともと鬱で無職のおっちゃんだった私が始めたものです。繊細の極みだった頃、読みたくない文章がありました。これから書くことはそれに入るかもしれない。いや間違いなくはいる。読みたくない人は嫌な予感がしたら、戻ってください。せめて読んだ後味だけは悪くないように仕上げてみます。無論、誰かを怒らせたり傷つけたりする意図は毛頭ございません。
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職場のベテランが立て続けに2枚やめるので、毎週採用の面接をやってる。人事のおっさんは声がでかくて品がない。
嫌な会話が耳に飛び込んできた。
「(面接を終えて戻ってきて)全然あかんわ。精神疾患で今も投薬中。月1回は通院させてくださいだって。そんなん聞かされたら取れるわけねえやん。声も上ずっとって、ソワソワしてから。」
「そんなん言って採用してくれる会社なんか、あるわけねえがなあ。あはは。」
こんな声が聞こえて来て思わず、思考が停止してしまった。私は、働かずにいた5ヶ月間を父の介護と説明した。嘘ではない(笑)
働き始めてから、何か話の流れで「かつて鬱だった」という話はしても良いかなくらいに思っていた(いる)し、面接で病歴を話すことになったとしてそれで落とされる職場には行かなくていいと思っていた。
でも実際に、目の当たりにすると、まあまあ、いやかなりショック。
冷静に考えると、月1回やすめない職場なんて、ワンオペ牛丼店の店長にでもならない限りは、普通は有り得ないわけですが、やはり心配で質問したのでしょう。
面接する側も、このひとソワソワしてて印象悪いなあと思っていたところに、精神疾患の話が登場したので、やっぱりか!となったのかな。
双方の気持ちを察することは容易ですが、そんなことを職場で大声で話してしまう品格のなさに、驚かされたわけです。
自分の周りにそういう人がいないのかしら。ましてや、自分もそうなる可能性があるなんて1ミリも想像できないのだろうなあ。私もそうだった。
いや逆に、普段からとてつもない孤独を抱えていて、精神疾患の人と対峙すると自分の中の弱さを見ているような気持ちになるんだろうか。だとしたら、それを誰かに声高に聞いてもらうことで自分を保っていると考えることもできるのか。
朝からこんなツマラナイことで悶々としてしまつまて、いいや。この仕事、やめてしまおうと思った。他にも、小さいことが重なり、あ!?!?となってしまった。
何かを期待しているから、そうなるんだなと思う。責任あるポストの人には、品格が備わっていてほしいと期待している。そういうことなんだな、俺。
また別の職場に行っても、やっぱり何かを期待する限りは同じように悶々とするんだろうな。期待しすぎなんだな。この期待を、良い感情に切り替えられたら良いのだろう。まあ気長に。
でも、やはり期待をやめられないなら、仕事をやめよう。期待してしまうからこの不倫を止めよう。みたいな感じって、こんな感じなのかな。違うかな。知らんけど。
最低。
最低に嫌なことがあった。今日は何に集中しようかな。あーもやもやする。ファック。