根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

自己愛と自己嫌悪は似ている

「立つ瀬をもたらす」という点で、自己愛と自己嫌悪は似ている。自傷行為も、暴力行為も、気晴らしとなる全てが近い性質を持つだろう。

 

同じところをぐるぐるしながら、自己愛や自己嫌悪に色を変えていく。あまり遠心力が強すぎると、人は立っていられなくなるのかもしれない。

 

無頓着、天真爛漫、気楽でいられたら…そんなことをウダウダと書き連ねていく未熟さと卑しさ。そんな自分が好きなのだ。

 

きっと多くの人が気づいてある。僕の額から、自己愛がとめどなく垂れ流されていることに。あさましい。

 

なんてことを書いているそばで、今日の夕食の献立を考える。狂気はいつだって日常と同居しているようにおもう。

とつとつと

とつとつと、という日本語の意味はよく知らないが、音が気持ちいい。漢字で書くと、訥々と、である。恐らく死ぬまで実用しない言葉。

 

今朝は、相当に気持ちの悪い文章を書いてしまった。私生活の中に沸いた小さな不安を切り取ったり、自分の気持ちの醜悪な瞬間を取り上げて肥大化させて遊んでいるような気分であった。

 

もはや自分から切り離された新しい存在、しかし確かに自分の一部であったそれを観察して文章化する作業。

 

今後も私小説で、自分の心の内側に光を当ててみたい。

私小説「国道30号線」

私を山奥まで運ぶこの女は、いまどんな気持ちなのだろう。月曜、朝の国道は、予想どおり混んでいる。

私は月末の上京に想いを馳せながら、高速バスの価格を調べている。よし、まだ売り切れてない。今日のバイト代で買える予定。

 

このバイト先は、母が私に紹介した。部下のミスで、印刷発注したチラシが折り加工されていなかったそうで、それを朝から晩まで折る仕事。私のような時間を持て余した病み上がりには"うってつけ"だと、鬱屈とした気持ちにそよ風を吹き付ける。そんは退屈さをしっかり搭載した仕事であった。

 

チラシがあるのは、山奥の事務所。私は、あと2日間だけ同僚となるこの女、母の部下の車に乗せてもらい、山奥へと分けいっている。

 

この女は何を考えているのだろう。何を聞いても柔らかく肯定ばかりするこの女は、先ほどから「道が混んでいるので定時に間に合わないかもしれない」と、しきりに私に申告するので私は無関心にあぁそうですか、と答えた。

そのくせこの女は、定時をまわっても自分の作業が終わるまで手を止めない。貴様は時間給なのだ早く帰れと、いう周囲の目を感じ取ることができない鈍感な、極めて愚直な人間である。

 

赴く事務所は、部外者を歓迎する空気はないと。そんなことを母から先だって聞いており、「あらあなた、ミエコさんの息子さん?」と無頓着に聞いてくる者もいるだろうと、母はしきりに心配していた。

私は頭の中に胸毛の濃いイタリア人を住まわせる。「イタリアでは無職でも痛くも痒くもない!チャオ!」と笑っているこのイタリア人を自分に憑依させて、どんな無粋な問いにも答える準備が整っている。

 

この女はいま、どんな気持ちなのだろう。今日で会うのが二度目となる男を後部座席に乗せて、1時間近く会話を交わさず山奥へと分けいっていく、この女の今の気持ちを知りたい。

 

就職活動スタート。

先日、ある本を読んで、自己愛とは、人生の幸福を構成する重要な要素だとわかった。
自己愛には、いろいろな形がある。多くは他者を巻き込む。その巻き込み方が、その人の住む社会において認められるものであるかどうかが、障害の有無を規定するのだとおもう。

自己愛の所在によって、世界が仲間に見えたり敵に見えたり、人間というとは悩ましい生き物である。生存欲求よりも自己愛が優先されることが、往往にしてあるのだから。

 

今日は、先日私に軽作業を頼んだ事務所の方が、まあまあ強引に、作業部品を家に送ってきて、まともな指示もなく「月曜までによろしく」と頼んできたので、少しカチンと来た。
ニートにだって、ぼーっとするとか、寝るとか、自分の時間の使い方を決める自由があるのである。継続契約を結んだわけでもないのに甘えるなよ、と思った次第である。

 

そうこう、モヤっとしつつも、月末には1週間ほど東京に行きたいなーなどと思っていた矢先、親から「もうあなたの趣味にお金を払う余裕はない」と。そんなこと言われたら、あからさまに焦るのでやめて欲しい。やめて欲しいが、明らかにこの議論は私が劣勢であることは自明である。そう、私も甘えさせていただいているのでございます。

 

焦らずして勝つべし。そんなこんなで、満を持して就職活動を始めた。預けられた軽作業を早々に終わらせやった。はっはー!

 

転職ナビサイトに久しぶりにログインすると、4ヶ月前に無断で音沙汰なしにしてしまった企業人事担当者や、エージェントからメールがたくさん来ていた。申し訳ないと思いつつ、当時は仕方なかったのだ。死ぬよりマシだろ。と今でも胸を張って言える。

 

さてさて転職活動。
アレコレと仕事を検索しても、本当にピンとこない。ワクワクした後に不安の芽が吹き出るというよりは、出てくる仕事が本当にピンと来ない。
転職ナビサイトの検索軸は、私の思考を画一に切り取ってくれる。この軸に沿って進めていて大丈夫かと不安になりますね。
転職エージェントを使おうか、悩み中。

 

と思っていたら、前々から気になっていた企業の掲載が本日締め切りになっているじゃありませんか。
迷わず応募。ええい、野となれ山となれ。スーツは今日久しぶりにクリーニングに出され、いよいよ賽は投げられたのであった。

 

今から就職活動を始めても月末までに給料が入るのは不可能なので、まあ間違いなく親に借金である。
就職して、返す当てがあれば大丈夫だろう。たぶん。

 

この楽観性をすくすく育てて残りの人生もクリアしていきたいわけである。

自己愛を飼いならす

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今朝の一冊。この前、初めて読んだ文章に痺れてしまった春日武彦さんの著書。

 

自己愛について、自己肯定、思い上がり、独りよがりなど派生した感情と整理しながら、

ゴミ屋敷の主人、美容整形癖、拒食症、タトゥー、自作自演、盗作行為、芸名、徒歩暴走族、肩書きなど様々な話を引き合いに論じている。

 

よくこんな本が書けるなとおもった。私だったら、書きながら自分のなかの自己愛に食い破られて、筆が止まるだろうと何度も感じた。頭の中の雑音を無視するために、せめて息を止めて一気に書かれるほかないのではないかと、

そんなつまらない想像を巡らせつつ。また次の同氏の著作に手が伸びる予感がしている。

4ヶ月ぶりに働いた話

今日、久しぶりに働いた。といっても親の職場の雑務の手伝いだけど。給料は出るらしい。

 

何時から何時まで、給料いくらか、何も知らされないままユルユルで「明日、ちょっと作業手伝ってほしいねん」と。

まあ暇だしと思って、ゆきました。この辺のハードルがナチュラルにクリアできるのは、少し良くなってきた証だと思う。

 

今思えば母の根回しがあって、職場の充実した人間関係の話をずっと私に自慢したり、職場の同僚が我が家にご飯を食べにきたら(先日、庭先で焼肉した)、そんなこんなで。

 

母が私のリハビリ環境として自分の職場を使おうとしてくれてるのは前々からの話で。普通に雇おうとしてくれたり、(断ったけど)そんなこんなで。

 

ユルユルだけど、人から成果を期待されるというのは緊張します。朝からソワソワ。あーソワソワ。

 

予想の100万倍ゆるい環境で、不要な緊張もなく、作業に集中できました。みんな優しい人だった。

職場には、以前家に遊びに来てた母の同僚の方がいて、この人は大きく構えていて、会うと少し安心する。私が働いてないのを知っている。

私は、家で作った晩御飯を母に写真で送る習慣があるんだけど、それを一緒に見ていたそうで、初対面の時に「私のも作ってくれ」と頼まれた。

 

そんなこんなで、4ヶ月ぶりの労働は、無事に終わったのであった。

 

明日は縁があって、なかなかいいクラシックのコンサートを聴きにいけることに。チケットを無料でいただいた。楽しみだ。おそらく、図書館の本は返せない。

傷ついた話、それと対峙する。

図書館から借りてる本の期限が昨日切れてた。そりゃそうだ。この2週間、演奏会のことで本なんか読んだら暇なかったもんね。

 

そんなことをボソッと言ったら、57歳になったばかりの父が何度も「いつ図書館にいくの?」と聞いてくるので、へーへー行きますよと適当に答えていたら、「返せないなら借りてくるんじゃねえよ」と声を荒げたのでした。

 

一瞬言葉を失ってしまって、特に気にしてない素ぶりで「はーいはい」と答えたのだけど、傷ついた。そして「うるせえ馬鹿野郎」て思ったけど、「返せるように計画的に借りなさい」という話は正論な訳で、そんなことをウダウダと考えていたら時間が経っておりました。

 

少し時間が経った今の心境としては、

・この人、昔から口悪いんだよな。少しボケたのかな。言った後に反省するタイプの人だから、まあいいんだけど。が40%

・「借りるんじゃねえよ」とまで言われる筋合いねえだろクソ親父この野郎!返せないから借りないより、返せないけど借りるくらいの勢いが大事なんだよ!知らんけど!が60%

といった具合である。

 

これから、こんな感じでショックを受けたときには処理していけるようになりたいなあ。今回は、その練習みたいなもんだったとおもう。