根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

失敗していい

中国に胡蝶の夢という説話があって、ある思想家が「蝶々になって長い年月を過ごした夢を見ていた。でも目が覚めた今、蝶々である自分が人間として過ごしている夢を見ているのかもしれないと感じた。夢か現実か、わからなくなった」と話したとかいう。

私が今生きているのは、真実の人生だろうか?真実であってほしい/夢であってほしい。そう強く願っても確かめようがないのだから、どこまで考え抜いても儚い。

 

多くの人が苦しみの少ない人生、修正可能な範囲の、正しい人生を歩きたいと願っている。私もたまにそう考えます。これ以上何かを失うことを恐れています。

だから今は、過去には失ってしまったことを振り返るのはやめようと思うように、まだ失ってないものについては深く案じないようにしています。

どうせ儚い人生なのだから、少しくらい踏み外していい。元いた場所に戻ってこないといけないと決め込む必要はない。

 

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ヤマアラシのジレンマ

ヤマアラシのジレンマ。

 

「自分のなかには、人に受け入れられない何かがある」という信念。「私が抱える、人に理解されることのない異物」との折り合い。

 

自分のなかの普通でない部分や、壊れて修復されない(と諦めている)部分。それが人様に迷惑をかけている(加害妄想も含む)ことへの耐え難さ。

 

他人に頼ることは、自分すら受け入れてない部分を他人に預けること。そのモヤモヤから逃げ切ることには、もはや生涯期待していない。‬

 

人と繋がるほどに浮かび上がる自分の受け入れがたさと、うまく付き合っていくほかない。誰しも。

 

そうは言っても、私も自分の好きなところがいくつかある。なんだかんだで、自分が一番可愛いところだ。嫌いなところは挙げればキリがない。

ちょっと遠くへ

歌をうたうことと、当ても無く遠くへ行くことは、自分にとって良い気分転換になる。どちらも時間を忘れてしまうことができる。歌は没頭して、あっという間に時間がすぎる。遠くへ行くと自分ではない何者かになったような気分になる。過去も未来もない、時間と空間を越えたところへやってきたような気分になる。

 

ただでさえ、家から出ない日々。物理的に遠くへ行くことは、良い気分転換になる。3連休は九州へ行った。婚約者がいるのだ。その人とは、来年結婚する予定だったけど、私が身体を崩して結婚は延期になった。フラレるかなと思ったけど、「のんびりやっていこうね」と声をかけてくれた。とても感謝している。

 

いつも会うとき、二人は元気でキャッキャ笑っていたけど、今回は詰め込みすぎて疲れてしまった。3日間、ずっと一緒にいるのだから、静かな公園でのんびりしたり、演奏会にいくなど、もう少しゆっくり過ごせばよかったなあ。

 

誕生日プレゼントにおしゃれな鞄を買ってくれた。大切に使おうと思う。

コマは回っているから立っている

ハローワークで、なんでも相談できる窓口があって、そこを利用させてもらった。白髪の優しそうなオジさん。以前に福祉介護職を経験されたんだとか。お医者さんではないけど、相談員的な資格を持っているらしい。

 

「なんでも話してくださいね。うつの方は、話し相手がそもそも少なかったりしますから、仕事に関係なくても雑談でも何でもいいんですよ」、「4人で毎日かわるがわる、窓口を担当しているので、色々な人と話してみてくださいね。」と。

ありがたし。

 

「次の職場でまたストレスを感じたらと思うと不安なんです。働く先では、自分は鬱を経験していると伝えた方がいいんでしょつか。」

「んー言った方がいい時もあれば、言わなくても大丈夫なときもありますねえ。ご自身のいいようにされるのがいいと思いますよ。」

専門家らしさを感じない、ウロウロした話し方も今の私には有り難かった。断言される方が、後から尾を引いて私の思考を支配するということを、私は経験則的に理解していた。

 

「お話をしてると、そんな風には(心に病があるようには)見えませんけどね。」

(以前よりは声も小さいし、姿勢も悪いし、目も半開きみたいな感覚だし…)と自己評価していたけれど、他人様から見ると、これが私なのだ。そう感じ取られてしまったことを変えることはできない。

自分の殻の中で、自分を見つめて虚しくなる。うつとは、そういう病なんだな。オジさんの心無い言葉に、私は思ったほど傷つかなかった。少し嬉しくもあった。この面談をした50分間、おじさんは私にとって「世界」だった。

 

「はい、はい、」と相槌を打ちながら聞く。話の中身というよりは、オジさんと時間と空間を共有していることにささやかに喜んでいるだけの時間だった。オジさんはゆっくり話を続けてくれる。

 

「いきなり鬱なんです。と言われても、困ってしまう人もいるかもしれませんからね。『落ち込みやすい性格なんですよね』と言ってみるのもいいかもしれませんね」

 

私もかつて、初対面の人に鬱なんですと言われたものの咄嗟に何と答えたら良いか困ってしまったことを思い出した。今思えば、「なんて言っていいか分からない」と少し笑って正直に伝えてあげれば良かったのかなと思った。そして私はいま、他人に気を使わせてしまわないかと恐れていることを改めて自覚した。そしてそして、私は、すべての人に短時間で私を理解してもらえるような魔法の言葉を無意識に探していたことに気づいた。

 

 自分の人生に関わる人、全員にうつのことを分かってもらえなくてもいい。

完全に理解許容されていける白いゾーンと、ひた隠しにしながら生きていく黒いゾーンがあるのではなくて、

お互いを特徴として理解しながら、少しダメな所あるよなぁと思いながら、それでも自分の一部としてお互いを許容しあえるようなグレーで、どこかアンバランスな生き方がどこかにあるんだとおもう。

 

そういえば安定とは絶えず揺れていることによって産まれるって、物理の偉い人が言ってた気がする。コマは回っているから自立するというような話。

 

急がず焦らず。

(随時更新)好きなこと、嫌なこと、やりたいこと

たくさん書いてきます。

最終更新:2017/03/16

 

○好きなこと

・天井が高くて静かでパブリックな場所

・焼き肉

・疲れた夕方に飲むビール

・友達と大きい風呂に入ること

・自分の納得いく歌をうたうこと

 

●嫌なこと(主語を自分に)

・誰かを憎み続けること

・大きな声で怒鳴ること

・何日も風呂に入らないこと

・サイズの合ってない服を着て出かけること

・見栄を張ること

・他人の目を気にして悩むこと

・過去に立てた目標目的に囚われること

 

☆やりたいこと(かぶってもいい)

・ドイツ旅行

・韓国旅行

・1ヶ月くらい沖縄ひとり旅にいく

・英語でウィットに富んだ笑いを取る

・自分のために曲を書く

・暖かいローション風呂に入る

・花粉症を治して森林浴したい

刈り上げオッケーです。無職なので。

昨日は早朝ランで勢いよく1日が始まり、散髪とハローワークに行きました。ハローワークのほうは失業手当の申請です。職探しに本腰なのかというと、そこはまだ模索中。急がず焦らず。

 

ハローワークでは2人の方とお話をしました。まずは申請窓口の方。もう1人は職業相談窓口の方。

 

申請窓口の方は、私の持参した書類に不備があり「いやいや、それじゃなくて〜。それそれ!」と馴れ馴れしく。内心しばいたろか!と頭をグルグル。

でも、私の中に何か風が吹いたのか分からないのですが、「この人にバカにされてると思い込んでいるのは、私だ」という考えが降りてきました。「自分に自信がない根拠を他人に求めて、それが一体何になるというのか(反語:いや、なんの価値もない)」です。

 

こう思わせてくれたのは、午前中に気合いを出していった美容室のお兄さんとのやりとりがあったからカナ?と思い返します。(男性スタッフが多くて、席の数が少なくて、値段もそこそこで、と3時間くらい悩んで予約したんですよ!)

 

「職場的に、かなり短く刈るのはNGとかありますか?」

「(働いてないし!)いや、全然なんでもokです!」

「あ、そうなんですね!大丈夫なんですね」

 

私は思い切って、言ってみた。「はい、無職なんで長さとか形とか、好き放題していただいて!」

我ながら、今までで一番ハツラツと無職を宣言できたと思う(笑)

 

お兄さんは「や、そんなムチャはせんですけどね!笑」と。

ムチャはせん。という地元方言のイントネーションが優しさを伴って私にヒュッと届きました。お兄さんありがとう!

陰と陽でいうなら、陽なかんじで。先日の、幼馴染トシとの再会に続き、世の人々と交わりをもったのでした。

 

また将来。対人関係でモヤモヤが起こったときにどう対処していけばいいんだろう。対処法が知りたいと未来志向に自然となってきた最近。

ハローワークで話した2人目の方。とても親身に話を聞いていただきました。

 

なんか、いいかんじだ。

花粉症ランニング

花粉症がつらくて、2週間くらいランニングをサボってた。花粉がおさまっている早朝か夜に走るのがいいらしい。夜は街灯がなく、田畑に落下する危険があるので朝にした。太陽を浴びたいのもあった。

 

最近8:30に起きてたのを7:15くらいに起きて、走った。登下校の小・中学生とすれ違う。母校を通り過ぎ、歩いたり、走ったり6キロ。懐かしい道は記憶を思い起こさせてくれます。

 

良かったこと、悪かったこと。戻れない過去。2週間前は思い出して辛かったけど、今日はあまり深いことは考えず走りました。受け入れられてきたのかね。

心の不安は東京から実家に帰るとすぐに収まったのだけど、仕事を辞めて無職になり、今後がノープランな自分を受け入れていくのには時間が掛かりました。今は、あまり辛くない。

仕事なにやってるの?と聞かれても、働いてないんですよー!あはは!と普通に答えられそうな予感がします。

 

イタリア人は無職でも落ち込まないという話を聞いたことがあります。イタリア人に出来て、私に出来ない理由はないように思えてきました。こういう風に、無条件に開き直れるのは自分の好きなところ。

 

家に帰ったら、交感神経の働きが弱まってクシャミ止まらない。すぐお風呂に入りました。

 

朝に動いたからか、今日は色々やりたいなって気分です。

 

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