根が深い。

自己愛を手なずけたい人へ。

意外と笑ってなかった

母が趣味でフラダンスをやってて、今日は発表会だったらしい。朝からバタバタと。衣装を準備して、舞台用の濃い化粧をして、出掛けていった。

職場の人が見にきてくれたそうで、そのまま家に遊びにきた。本番の録画を見て、わーわー。

公民館講座の合同発表会だったらしく、英会話教室の発表が先生含めて全員カタカナ英語だったとか、フォークダンスクラブなのにシャモジと和太鼓を小気味よくチャカチャカトコトコ鳴らして終わっただとか、色々おかしな空間だったみたい。

久しぶりにゲラゲラ笑って、あー気持ち良い。久しく頭使わずゲラゲラ笑ってない。と思った。仕事はシリアスな話題しかないし。なるほどなるほど。

 

とりあえず風呂入って寝よ。

ベートーヴェン交響曲第九番と人間らしさ

人間らしいですね、と言われることが昔から多かった。とても気に入っていて、自分も人間らしいなと思うひとが好きになっていった。

 

ベートーベンは耳が聞こえない状態で交響曲第九番を書き上げ、リハーサルをこなし、初演を行なった。たいそうひどい演奏だったらしいが。

第9番はヨーロッパでもあまり演奏されることはない。日本が特殊で、特にソロは、日本のソリストの方がよく歌ってるという意見もある。

あの曲は気が触れた変人が耳も聞こえなくなって書いた駄作であるという酷評もあるけれど、いずれも楽曲を正当に評価したといえる批判に出会ったことはない。ベートーベンの人生をマイナスに踏まえすぎなだけなのだ。楽譜を読め。紛うことなき名曲である。彼の人生があの曲を産んだことは事実であって、しかし人生は楽譜には乗らない。楽譜を読め。そして、楽曲とは別にして、私は彼のように生き様を散らかした人間が、人間として好きでもある。

 

私の父は、脳梗塞で倒れてから、泣きやすくなった。母は脳の後遺症かなといってたけど、いや私に受け継がれてるのですけど。元々です。と思いながら、そのときはハハハと笑った。

父は笑い始めると止まらなくなる。横隔膜がコントロールできないんだろうか。笑いすぎて戻したこともある。これはこれで、幸せの一つの形なのでは。ガハハ。

 

人間らしいものに触れると、世界に彩りが加わります。それが奇々怪界なものであったとしても、人間らしいものには生命力があります。生命力。

生き方

今の場所で社員としてやろうかなという流れが来ているのだけど、どうやら人事の偉い人が「性根を入れ直さにゃおえん(原文ママ)」と思っているらしく、「ワシの下で働く以上は、世の中に出て恥ずかしくない人間になってもらう(原文ママ)」とのことらしい。誰が恥ずかしい人間じゃボケと思いつつ、どうやら嘘はつかない人で私を想って言ってくれているようで、鬱陶しいと思いつつ、もう少し話を聞いてみることにする。

 

よく思い返してみると、世捨て人(という意識で)として実家に帰ってきた。世の中と隔絶されてもいいと思って死なないために帰ってきた。

しばらく何もせず過ごして、遊ぶ金欲しさにイヤイヤ働き始めた。今の仕事に出会い、やりがいを感じている。けど軍隊に入隊した覚えはない。そう思っていたが、何故か根拠は無いが、長いものに巻かれてみるのも良いかもしれないと感じている。

 

生き方を変えられてしまうのではと怖がっているけど、人間は本当に根っこから自分を失うことができるだろうか。

 

変えてる自分(意識的)A

変えてない自分(意識的)B

変わっている自分(無意識)C

変わらない自分(無意識)D

 

A〜Dはつねにバランスを変えて1人の自分を構成している。A〜Dには最低限の値が定められており、ゼロになることはない。

 

変わらない自分Dを想うあまり、変えてない自分Bが増幅していって辛くなることってある。変わらずにいることは難しい。

難しいが不可能ではない。CDにあるものを意識下に置いたり、意識的にやってたことが無意識になる。時間と集中を重ねて。

 

心配しなくても変えることのできない部分Dを誰しも持ってるのに、意識できない領域Dを知らないうちに変えられてしまうと怖がっている。自分のことを正確に把握/支配できるという幻想を捨てて、今自分が信じたいことを信じて行けるといいなあ。

たぶん今、勇気がない。

源泉徴収票(追記)

をもらうために前の職場に電話するよ。ふう。

 

 

 

一番お世話になった人が電話取ってくれた。この人本当に電話取るの早くて、さっきもコール音無しでした。

 

開口一番に「元気?治った?」って。そう、本当にご迷惑をおかけしました。皆さんの話題になったのかな。社長と人事部長にしか病気のことは話してませんでしたが、どうやらご存知のようです。

 

話したかった人事総務のおばちゃんは本日お休みらしく、日を改めることに。

「本当にご迷惑をおかけして、すいませんでした」と。この人に言えてよかった。

怒りを飼いならす人

小さいミスがあった。こわい事務のおばさんが静かに近づいてきて、ミスのある書類を私の目の前で放り投げて何か暴言を言い立てた。「なんであんたはそんな風になったんだ」的な、人格的なものを否定するフレーズが入っていたように思うが、この人とは人格を理解されるほどの付き合いはないのでなんとも思わない。息つく暇なく言いたてているので黙って見ていると、落ち着いたのかまた席に戻っていった。

 

昼からは外出業務だったので、書類を持って外に出ようとすると、こわい事務のおばさんが話しかけてきた。

 

「つけ麺屋、知ってる?あそこの通りを入って行ったところの…なんやっけ。大将ってところ。750円もするのよ」

「おーなかなか強気の価格ですね。ちょっと食べてきてみます」

 

この人にとって、怒りというのは挨拶みたいなもんなのかもしれない。あまり深いことを考えるのはアホらしい。

私は怒ると、怒りを抑えられない自分にネガティブな感情が巻き起こるので、怒りを受け止めつつ別の感情に転換して処理する。(不安→具体化する、恥辱→美味しいものを食べて寝る、など)これにすごく時間と体力と気力がいる。

怒りを処理する作法。新しいものに色んなものに触れて、寛容になりたい。

 

そして私は今、昼タイムを大幅に過ぎたガラ空きのつけ麺屋で、名物の魚介つけ麺が出てくるのを待っている。

福岡へ

歌いにいきます。土日は歌いっぱなし。お金ないから遠出は、ほどほどにしないとね。

 

会える人、会えない人います。あなたは感じなくても、私は会えないあなたを想ってます。

 

人の目が見ていなくても風景はあるものだろうか?というフレーズから始まる詩があります。とても好きです。興味があったら調べてください。

 

次は、こくらーこくらー。

我慢と自由のどちらかなのかしら

ある楽団を運営してる。もっと多くの人に届けたいと思ってる。まだまだ無名で、ナメられた態度を取られることもある。最近怒りスイッチ入りやすくて、怒りまくるときもある。

怒ることは感情に素直なことなので否定し過ぎない。しかし我を忘れた後は、後悔する。

 

頭の中からいろんな声が聞こえる

 

・好きなことなんだから我慢できるでしょ?

・我慢がいやなら自由になればよいのでは?

・好きなことして挫折するの怖くないか?

・前より品がなくなってるけどこれが夢に向かって力強く突き進むってことかな?

・きれいごとだけで上手くいくほど、優しい世界ではないよね。

 

昨日から怒髪天案件があり。怒り狂ってまわりに心配されるくらいだった。んーんーって渦巻いていた。

 

落ち着いたらナンテことはないんだ。怒るってことは、困ってるってことなんだと思う。

怒りって、たぶん、便利。ガーターみたいに一度ハマったらそのまま行く。深く考えなくていい。

怒りガーターに入りそうな時は、時間が必要だ。クールダウンだ。自由と我慢って単純な何かに執着するの、やめ。

 

よく考えたら死ぬわけじゃないし。うん。今目の前の我慢が、どうしても受け入れられないものなのか。立ち上がれないほどの許しがたい怒りを100としたら、今の怒りは?

時間をおいて考えてみよ。うん。