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根が深い。

ネアカとネクラな世界を行き来する陰陽師。

過剰な一般化、論理の飛躍、学習性無気力、結論の保留、カウンセリングの有用性

しくじると、全てのことが苦手に見えて、次のトライが怖くなる。過去の事象、全てのものに当てはまるような気がしてくる。

鬱になり、過剰な一般思考が捗る。「ここでダメなら、他でもダメ」、「そういうの、社会人の常識よ?」、「どこにでも、そういう奴っているからね」

これらの言説、跳ね除ける気力も段々すり減って、袋小路へと入り込む。

 

…七五調、思ってたよりストレスフル。

 

袋小路にはいると、妙に饒舌になる。こうなる、するとこうなる、そして、こうなることは明らか。といった具合に。しかし、そこには認知の歪み/論理の飛躍が存在することが多い。

 

心理学の世界に、学習性無気力というのがあって、ざっくり言うと、「長期にわたって、原因不明かつ回避困難なストレス環境に置かれると、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなる現象」のこと。

原因不明かつ回避困難なものに、後付けで(飛躍しているにせよ)論理を構築するのは、かなり胆力のいる作業だと思われます。恐らく人間以外の動物は、そんな作業は行えない。

本来まったく論理性のない物事を対象に、なんとか法則化・言語化をしようと、日々繰り返される思考の中でゴムが疲れていくかのように伸縮性・耐久性・たゆみを失っていき、結論を急ぐのかな。「この辛さを説明できないなんて、そんな不幸があって良かろうか」という心理状況は、十分理解できます。

 

メンタルカウンセリングの有用性は、必ずしも具体的な打開策がすぐに導けなくても、モヤモヤを携えたまま、そのモヤモヤに対する判然としない思考を早々に切り上げず、余裕があるときに眺め続ける環境が提供できる点にあると思う。

単語は最後、読み手によって発見され、言葉になる

昔から話が小難しいといわれる。振り返ると、熟語が多いのだ。

 

大きく育った→成熟した

しっかり考えた→熟考を重ねられた

よそものを嫌う→排他的

 

こっちのほうが曖昧でなく、わかりやすいと心から思っている。

が、社会人になってから、話していることの意味がわからない。わかりたいが、取り扱いにくく感じると信頼する後輩に教えてもらったことがある。相当にショックであった。

 

先日、図書館で言語学のコーナーを歩いていると、ある本を見つけた。『「ひらがな」で話す技術』(西任暁子/著)という本。今から読む。

 

思えば、私の今の気持ち、フィーリング、モヤモヤを的確に表す言葉を探し出せることには、この上ない快楽感がある。

言葉というのは、新しく作ることが難しい。なぜなら、それを聞き手に理解してもらう必要があるという点において、たとえば「月の明るさ」を「サアャカテヒミ」と仮りに私が表現しても100%理解されないように、そこには理解されやすさを抱き合わせる必要がある。「月光明度」などがギリギリであろうか。(ここまでくるとなぜ熟語にこだわるのか、そのメンタリティのほうが気になる)

 

単語単品の分かりやすさだけではなく、「あいつは、こういう言葉を選びたくなる」という読者側からの歩み寄りがあると思う。

それは書き手にとっての甘えであるとか、そういう話ではなく、やはり太宰には太宰の、バッハにはバッハの筆致があるように、そこには動かし難い「人格」が存在する。

 

言葉をみつける、探し出す行為とは、単純に新しい言葉を想像したり、覚えたての言葉を使いたがるという意味ではなく、書き手による伝わりやすさの開発と、読み手による人格構築の重なりだと思う。

一つずつ試す

今日も今日とて日雇いアルバイト。なんと6:30集合である。辺境地での作業らしく、ドナドナされていく。

交通費はでないアルバイトなのだが、自宅の近くでピックアップしてもらえるらしい。ありがたい。

 

さて、今日はそのピックアップのおかげで初対面の方と一時間、車に揺られながら過ごすというミッションがあるわけである。

 

さてさて、どうなることやら。

 

失敗しても死なないレベルの実験を試していくこと、そういう環境を積極的に作っていくことが大事って、為末さんも言ってたから、そんなゆるさでやっていこうと思う。

日雇いバイトってこんなかんじ?

いろんな会社があるんで、全てこういうものなのかわからないけど、前日の午後イチとかにキャンセルされたりするんですね。もちろんそれが分かった上で利用してるんで大丈夫なんだけど。

仕事の出来具合や、キャンセルの時の対応、一つ一つ信頼関係の積み重ねなんだなと思います。

 

日雇いバイトだからって、関係性構築しなくていいと思ったら、大間違いでした。必ずどこかに繋がってるんだなあというかんじです。陸続き。

 

さて、今日は違う派遣会社の登録説明会です。ほんとは家でいろいろ作業したかった。

やばい部分に熱狂する

人のヤバいところを見つけるのが昔から大好きだった。いつからか、わからないが。例えば怒ってる人を見るのが好きだった。悪趣味だ。

 

みんな心にヒダヒダがあって、十人十色のヒダヒダ模様。あのひと、こういうところがヤバいなあって。ヒダヒダを観察して、熱狂していた。

 

大学は経営学を学んだが、どちらかというと心理学。人間(組織)の非合理的な決断を後押しする偏見にフォーカスしていた。悪趣味だ。

 

プライオリティが一般社会のものと大きく乖離していることを狂ってると呼ぶわけでありますが、一般社会なんてものは、それこそ千差万別。あっちの国の常識が、こっちでは非常識なんてことがあるわけです。

 

そしてそれが、「障害」を規定し、「狂気」を規定する。

 

ヤバいものを見つけよう。こちらから、あちらを見たら、次は、あちらから、こちらも見よう。それが礼儀ってもんです。

お金を稼ぐ

ふと、自分は自分の仕事の価値に対してお金をもらっていると実感した経験が、ほとんど無いことに気づいた。大学時代も、アルバイトの経験がほとんどなかった。その頃は、自立したいという欲求も必要性も感じていなかった。サラリーマン時代は、金より好奇心で駆動していた。当時は幸せだったが、本当は自分に、金と好奇心の両立をもっと強く課すべきだったのだろうか。わからない。

 

さて、今日は人生二度目の日雇いアルバイトである。一回目は、10年近く前になるだろうか。サークル仲間と連れ立って自衛隊のイベント会場へいき、来場者が海へ転落しないように一日中海沿いに立っている仕事だった。
撤収間際に、スキンヘッドで額に深いアザのある熊のような風体のおっさんに声をかけられ「きみ、〇〇大学?幹部候補に応募してみー」とスカウトされたのを覚えている。あのおっさんは元気だろうか。

 

集合は7:40。いつも起きている時間。といっても、もう一度寝て本当に起き上がるのは一時間後。緊張からか、6時の目覚ましで一発起床に成功した。

 

田舎の不慣れなラッシュに揉まれ集合場所についた。集合場所には、汚い茶髪の中年女(外来種と呼ぶ)と、あごひげを蓄えたシャツ姿の中年男が数名いた。

道端に停められた車には、派遣会社の名前が書かれている。これだ。

 

私の緊張は、さながら控え室入りする新人芸人と近いものである。謙虚に感じ良く、足元を見られないように逞しく。

 

「おはようございます。」

 

力みを少し抜いたニュアンスで声をかけることに成功した。さっきまで何かを話していた外来種は、急に黙って伏し目がちになり、自分の髪をくるくる触っている。汚い。
私は瞬時に、この外来種は、真ん中の6割だと思ったので(真ん中の6割という言葉については、いずれ説明する)、髭男爵にもう一度あいさつをした。

 

「おはようございますっ」

 

言葉に少し勢いをつけてみた。さらに私は浅く頭を下げた。さながら、今表明できる、不自然すぎない範囲における最大限の感じ良さであろう。一番ヒゲの豊かな男爵が、奥のアレね、といって先頭のワゴン車を指差した。指が太い。

 

ふと昨日の夜の電話を思い出した。この派遣会社から電話。いろいろあったが、先方のミスで予定の仕事が中止になったのである。電話の主は、とても柔らかい声でお詫びの言葉を陳述している。

私は月末に東京へ行きたいのだ。もう夜行バスは予約して、手渡しの給料でコンビニ決済したいのである。私は少し落ち込んだ声で、代わりのやつありますか?と尋ねると、電話の主は申し訳なさそうに代案を出した。これに私は快諾した。
このときの声の主と、先ほどの外来種や指の太いヒゲ魔人が同じ会社だということが私の頭の中で繋がらなかった。少し混乱した。

 

しかし、指は先頭のワゴン車を指差している。

 

「あちら、はい、ありがとうございます。」

 

小慣れた感じ。絶妙なこなれ感を出しながら、私はヒゲと外来種の元を離れてワゴン車に乗った。集合時間10分前であった。

 

私は緊張していると、世界は自分しか存在していないかのような不安に襲われる。私は、部屋に1人で芝居をしていて、別室から誰かが黙ってこちらを見つめている。
そんなところに身を落とされたような錯覚になる。先ほどの外来種やヒゲオヤジとの遭遇もそうであった。しかしなぜ、この手の中小企業の中間管理職ヒゲオヤジは、皆総じてインテリ風メガネをかけているのか。誰か教えて欲しい。

 

ワゴン車には、この世の果てのような顔をしてスマホを触る女と、スマホを触る青ヒゲの男がスマホを座っていた。こいつはしっかり剃っているのに、髭が青い。あーもう。
「おはようございます」と、挨拶をするも返ってこない。はいどうもありがとうございまーす。

 

私もスマートフォンを取り出し、この状況を記録することにした。軽車両に乗せられて、知らない男と1時間の退屈な対話を強いられると想定していたが…民よ見るがよい。ワゴン車なのである。こんなに嬉しいことはない。

 

しばらくすると、白髪のおっさんがワゴン車に入ってきた。剃り残し青ヒゲ男が軽く挨拶をするも。知り合いらしい。2人とも常連だろうか。

そういえば、10年前もこんな光景を目にした記憶がある。ここだけで成立している独特の、臨時の社会があるのだろう。おそらく、このワゴン車にも定位置があるのだろう。私は誰かの定位置に座っているのが知れない。新人は助手席だろうか。やなこったである。私はスマートフォンを遠慮なく触りたいのだ。そして、紫外線もきになる。

後ろからがさっという音が聞こえた。誰かいたのか。さながら亡霊である。

 

そんなこんなで、今から一時間くらい車に揺られて、地場小売企業の倉庫へ行き、ずっとピッキングをする。私は、私の価値を発揮して、迷惑をかけず気持ちよく働けるだろうか。願わくば、一緒に働く人に再会を期待されるほどの成果を残したいが、ラーメンが食べログ評価★五つを獲得できないように、日雇い労働者に★五つはつかないのである。ラーメンと回らない寿司屋を比べてはいけない。

 

青ヒゲは、白髪に、レギュラーで雇われている別のバイトの愚痴を話し始めた。もう、がんばってほしい。

 

あ、着いた。9時スタートにしては早すぎないだろうか。帰りたい。